洗脳に気づいた愛国少年が題材のドキュメンタリー映画『少年趙君』

『少年趙君』は1990年以降に生まれた中国の若者趙君を主人公としたドキュメンタリー映画です。高校から大学二年までの四年間で、趙君が経験した国家に対する意識の変化を追っています。趙君の視点を通して、現在の中国の社会を浮き彫りにし、一人の愛国少年が憤青(怒れる若者)に変わってゆく過程を描いています。

「がんばれ中国。釣魚宝島を返せ。船長を返せ。」

2009年、山西省の古い城郭(じょうかく)都市、平遥(へいよう)古城の大通りで、古い軍服を着て五星紅旗を振りかざした19歳の少年がスローガンを叫んでいました。誰から指図されたのでも、誘われたのでもなく、軍服と国旗も自前で用意し、自分の意思で行動したのです。

彼に声援を送ったり、支持を示す通行人やデモ隊と記念撮影をする少女もいました。この光景を見た時、映画監督の杜海浜さんは奇妙な感じを覚えました。スローガンを叫んでいるこの少年はいったいいつまでこの愛国心を持ち続けられるのだろうか興味を持ち、彼を主人公としたドキュメンタリー映画を撮ることに決めました。

趙君は杜さんの構えたカメラに向かって愛国主義の歌を歌い、国を愛する思いを熱弁しました。感極まって泣き出すこともありました。

「ただ口だけで愛国のスローガンを叫ぶだけではだめです。僕らを大事にしてくれている祖国に報いるために行動で示さなければ。理想を行動に移す者こそが有意義な人間です。だから国を愛する激しい思いを行動に移し、祖国建設のためにその身を投じなければならない。絶対に兵役に就く。それが将来の夢です。」

家族は長男の趙君に期待を寄せ、趙君に教育を受けさせるため借金をしました。19歳の趙君は大学受験に失敗し、その年ホテルでアルバイトをしました。その時の経験により、横暴に振る舞う中国人客とは違って、日本人客は謙虚で穏やかだという印象を持ちました。

その後大学に進学すると、「アジアの四小龍が発展したのは中央集権をしたからだ」「中国の未来の希望は共産党にある」といった教育を受けました。先生は学生に問いかけました。「何百年もの長きにわたる悲惨な運命から中国を抜け出させたのは誰か?中国共産党だ!」

中国全土を愛国デモの狂気が席巻していたあの当時、兵士となって国のために尽くしたいと願っていた趙君でしたが、大学に入った後、だんだんと気持ちが変わっていきました。趙君はカメラに向かって、「大学は楽しいよ。兵士になりたいとは思わなくなってきた」と言いました。

夏休みに入り、趙君は大学の同級生と一緒に、山間部に住む学校に通えない子供たちの教育支援ボランティアに行きました。この時、祖国の本当の一面に気づきました。日本はかつて植民地になる危機に直面したとき、国の発展のため教育の普及に力を入れました。一方、中国はどうでしょうか。国の資金のほとんどは汚職役人によって無駄遣いされているのが真相です。

「人民民主専政の意味をいまだに理解できません。人民民主専政とは、政治学の関連書に書かれている人民代表のことですが、人民代表はいったい誰を代表しているのか。人民代表の冊子を見ると、企業の社長やどこかの会長ばかり。僕らはずっと洗脳を受けているのです。悪くいえば洗脳されていて、よくいえば政治意識を高めているのです。」

趙君はこう考えました。「現在の中国は一見ものすごく繁栄しているように見えるが、その繁栄はいったい何の上に築かれたものなのか。表面的には裕福で強大に見えるが、実際には消費が多く汚染が深刻で、効率も質も悪く発展もしていないではないか。」

五年前には愛国デモに参加していた趙君でしたが、国への気持ちを決定的に変えたのは、自宅の強制立ち退き事件でした。

「人が死んでしまうじゃないか!」「中にまだ人がいるのか?立ち去れといったじゃないか」

政府によって自分の家を取り壊された時、愛国少年は涙を流し、その一部始終をカメラにおさめました。その映像を証拠として政府を訴えようと思ったのかもしれません。でも自分にはそんな力はないことを彼は知っていました。国を愛した少年に国が報いることはありませんでした。

これがかつて「党が国家を建設した。共産党があってこその新中国なのだ」と言っていた若者です。すべてを見た趙君は今問いかけます。「僕たちは思想が止まったまま進歩しない体制の中で暮らしている。ずっと同じ体制の中から抜け出せずに、自分たちが求めている生活を手に入れられないでいるのです。」

「愛国」という言葉が空虚な嘘となった時、彼が幼い頃から崇拝してきたあの人物が、実際には彼らを虐待してきたことに気づきました。いつか人々によって、この人物の偶像が荒野に捨て去られる日も近いでしょう。

新唐人テレビがお伝えしました。

 
関連記事