イギリス国立公文書館が先月機密解除した大量の外交文書の中に、1989年に中国北京で発生した天安門事件に関する文書が含まれていました。
「香港01」の報道によると、1989年6月3日から4日にかけて人民解放軍第27集団軍による掃討作戦で銃撃により死亡した学生、市民、兵士は一万人以上に上ると記述されたデータが発見されました。
この情報は当時中国国務院上層部のある人物から提供されたものとしていますが、この人物の名前が黒く塗りつぶされているため、身元は公開されていません。当時北京に駐在していたアラン・ユエン・ドナルド英国大使は、電報でこの人物の情報は正確であると実証されていると報告しています。
文書では銃撃の様子が詳細に記載されています。それによると、装甲車に乗った第27集団軍の兵士が、市民や他の兵士を含む群衆に向かって銃撃を行い、正義路から離れる許可を得た1000人も、待ち伏せていた兵士による機関銃の掃射を受けました。装甲車は脱落した瀋陽軍区の兵士を追いかけ轢いたといいます。
新唐人テレビがお伝えしました。