誰しもが健康でありたいと望み、長生きしたいと願う。ところが妙なことに、全く逆の願いを持つ者もいる。「病気になりたくてたまらない」。そう願った子供がいるというのだ。
今回のカルテでは、そんなユニークな逸話をご紹介する。
主人公は、ある男の子。彼が幼い頃、家にはこんなおきてがあった。「病気にかかれば魚のスープが飲める」
恐らく、当時は今ほど飽食の時代ではなかったのであろう。普段はめったに魚のスープなど食卓にのぼらない。だから、子供心に何とかして美味しい魚のスープにありつきたいと思ったはずだ。しかし健康なこの子は、どうしても飲むことが出来ない。ところが病弱な兄はしょっちゅう飲んでいる。心からうらやんだこの子は、悪知恵を働かせ、ある日とうとう待望の病気にかかった。
だが、不思議なことに魚スープが運ばれてもちっとも飲みたい気持ちにならない。それどころか吐き気さえもよおす。結局このスープはこの子が味わうこともなく、すべて兄に飲まれてしまった。
もちろん、この子は納得がいかない。そして母に尋ねた。「僕は病気になっても魚スープが飲めない。なのに、お兄ちゃんは飲める。なぜなの」。母の答えが「それはあなたの動機が不純だからよ」
動機が不純、とは面白い答えだが、胡先生の解釈によるとこうだ。病気にかかるかかからないか、それは縁によって決まるものである。
人を苦しめる生老病死。これは人が何とかして左右できはしない。神様から授けられたものだからだ、というのである。そうだとすれば、病気になるならないでジタバタしても始まらない。自然体が一番であろう。
またこのほか、病気の際の食事の注意点もご紹介。つまり、「多食則遺、食肉則復」。食べ過ぎれば後遺症が残り、肉を摂り過ぎれば病が復活する、との意味である。
【漢方の世界】カルテ(十四)―病気になるかは縁しだい?
(2010年03月12日記事の再掲載)