少し古いが、『AERA』に「日本人大学生よ、もっと頑張れ」と叱咤激励したくなる記事があった。
「新卒は「熱血アジア人」 日本企業の採用は中韓インドに殺到」と題する同記事(AERA2010年4月5日号)は、日本の大手企業がアジア人の新卒採用に力を入れている実態を報告するもので、インターネット総合サービスを展開する企業の担当者は、その理由をこう話す。
「もちろんグローバルに事業を展開したいという理由もありますが、もう一つの大きな理由は、外国人学生は日本人学生と目の輝きが全然違うこと。必死さや背負っているものに雲泥の差があると思います」
「雲泥の差」とは、非常に大きな隔たりがあることを言うが、「雲泥」という語は『後漢書』(5世紀)の次の話が語源だと言われる。
汝南の呉蒼(ごそう)は山中に遁世していた矯慎(きょうしん)という人物を大いに尊敬しており、本人の志を確かめたくて手紙を送った。「先生と私では、片や雲に乗り片や泥の中を這いずり回っています(乗雲行泥)。住む所は違っていますが、西風が吹くたびに、嘆息せずにはおれません。……」
「雲」とは天、「泥」とは地を指し、天と地ほどに遥かな隔たりがあるということ。
中唐の詩人白居易の「傷友」(友を傷む)にも、「昔年洛陽の社、貧賤にして相提携す。今日長安の道、対面雲泥を隔つ」とある。昔洛陽にいた時は、貧しいながらも助け合ったものだが、今は長安の道ですれ違っても、(身分が違ってきたので振り向くこともなく)雲泥の隔たりを感じる、ということで、親しく交わった友も立身出世によって薄情になることを嘆いた詩である。
ところで、冒頭の記事で、ある投資銀行人事部担当者は、「『あえて苦労を選んでチャレンジする人』こそが、国籍に関係なくいま必要なんです」と話す。先日来、「今年も初出勤に遅刻する新社会人が続出」という記事がネットで大きな反響を呼んでいる。日本人大学生の奮起を望む。
(翻訳編集・瀬戸)
大紀元日本、EPOCH TIMES JAPAN より転載