[インディン(ミャンマー) 9日 ロイター] – 縛られ、拘束された10人のロヒンギャの男たちは、すぐそばで浅い墓穴を掘る隣人の仏教徒たちを見つめていた。それからまもなく、昨年9月2日朝、彼ら10人の遺体がその穴に横たわった。そのうちの2人を切り殺したのは仏教徒たち。残る8人はミャンマー軍によって射殺されたと、穴を掘ったグループの2人がロイターに証言した。
ミャンマーで起きたイスラム系少数民族ロヒンギャの惨劇。「ひとつの墓穴に10人を入れた」。同国ラカイン州インディン村にある仏教徒集落の退役兵士、Soe Chayはそう語り、同日の事件で自ら墓穴掘りに加わり、殺害を目撃したことを認めた。
彼によれば、兵士たちは、拘束したロヒンギャ1人に2、3発の銃弾を打ち込んだ。「埋められるとき、数人からはまだうめき声が聞こえていた。他はすでに死んでいた」と彼は話した。
<終りの見えない「浄化作戦」>
ミャンマーの西の端にあるラカイン州の北部では、ロヒンギャたちに対する暴力行為が広範囲に行われている、と隣国バングラデシュに逃げ込んだロヒンギャ難民や人権擁護団体は訴える。海岸沿いの村インディンで起きた虐殺事件は、暴力的な民族対立の悲惨さを雄弁に物語っている。
昨年8月以降、自分たちの村を脱出、国境を越えてバングラデシュに避難したミャンマーのロヒンギャ住民は69万人近くに達する。インディン村にはかつて6000人のロヒンギャたちが住んでいたが、10月以降、残っているものは誰もいない。
およそ5300万人の人口を持つミャンマーは、国民の圧倒的多数が仏教徒だ。イスラム系住民であるロヒンギャたちは、同政府軍が自分たちを抹殺するため、放火、暴行、殺戮(さつりく)を続けていると訴えている。
国連はこれまでもミャンマー軍が虐殺を行っていると非難し、米国政府は同国での民族浄化を制止する行動を呼びかけている。一方、ミャンマー側はこうした「浄化作戦」はロヒンギャ反政府勢力による攻撃に対する合法的な対抗策だと繰り返している。
ロヒンギャたちにとって、ラカイン地域はこれまで何世紀にもわたり自分たちが住み続けてきた場所だった。しかし、ミャンマー人の多くは、彼らをバングラデシュからやってきたイスラム系の招かれざる移民とみなし、軍はロヒンギャたちを「ベンガル人」と呼ぶ。
こうした対立はここ何年かの間に激しさを増し、ミャンマー政府は10万人以上のロヒンギャたちを食糧も医薬品も教育も十分に提供されないキャンプに閉じ込めてきた。
<食い違う現場と政府の証言>
インディン村の惨劇はどのように起きたのか。ロイターは事件への関与を告白した仏教徒の村民たちに接触し、ロヒンギャたちの家屋への放火、殺害、死体の遺棄についての初めての証言を得た。証言からは軍の兵士や武装警察官が関係していたことも明らかになった。
村に住む長老の仏教徒からは3枚の写真を渡された。そこには9月1日の夕刻、ロヒンギャたちが兵士に拘束され、翌2日の午前10時過ぎに処刑されるまでの決定的な瞬間が写し出されていた。
ロイターが事件の調査を続ける中、警察当局は12月12日、同社記者であるWa LoneとKyaw Soe Ooの2人を逮捕した。ラカインに関する機密情報を入手したという容疑だった。そして、年が明けた1月10日、軍はロイターによる報道内容をある部分で確認する声明を出した。インディン村において、10人のロヒンギャ住民が虐殺されたことを認める発表だった。
しかし、軍が示した説明は、いくつかの重要な点で、事件を目撃したラカインの仏教徒やロヒンギャたちがロイターに提供した証言と食い違ってる。
軍側は殺された10人を治安当局に攻撃を仕掛けた「200人のテロリスト」の一味であると決めつけた。しかし、村の仏教徒住民はロイターに対し、インディン村において、大勢の反乱分子よる治安部隊への攻撃は全くなかったと明言している。そして、ロヒンギャの目撃者によると、その10人は近くの浜辺に避難していたロヒンギャたちから引き抜かれるように連行されていった人たちだった。
さらに、ロイターの取材に応じた多くの仏教徒、兵士、武装警官、ロヒンギャたち、そして地元の行政当局者の証言から、より詳しい状況が明らかになった。
ー 仏教徒村民によると、軍の兵士や武装した警察官がインディン村の仏教徒住民を集め、そのうちの少なくとも2人がロヒンギャ住民の家に放火した。
ー 3人の武装警察官およびラカイン州の州都シットウェの警察官によると、インディン村のロヒンギャ集落を「浄化」する命令は、軍の指揮系統を通じて下された。
ー インディン村の仏教徒行政官と武装警官によると、武装警察隊の数人がロヒンギャ住民から牛やオートバイを売却目的で略奪した。
<政府側は軍の作戦を擁護>
ロイターが入手したこれらの証言や情報について、ミャンマー政府はどう反応しているのか。
スポークスマンであるZaw Htayはロイターに対し、「人権侵害の申し立てがあることは否定しない。そして、全てを否定してもいない」とし、もし不法行為について「十分かつ信頼できる一次証拠があれば、政府は調査を行う」と語った。「そして、証拠に間違いがなく、暴力があったことが分かれば、我々は現行法に従って必要な行動を取る」と述べた。
インディン村のロヒンギャ集落を「浄化」するよう命令を受けたという武装警官たちの証言については、「証明が必要だ。内務省と警察当局に聞かなければならない」と返答。武装警官たちによる略奪に関しては、警察が捜査するだろうと語った。
同スポークスマンは、仏教徒村民たちがロヒンギャたちの住宅を焼き討ちしたとの情報には驚いた表情で、「いくつも様々な異なった申し立てがあるが、誰がそうしたのかを証明することが必要だ。今の状況下では、それは非常に難しい」と付け加えた。
一方、同氏はラカイン地域における軍の作戦を擁護した。「国際社会は誰が最初にテロ攻撃を仕掛けたのか理解すべきだ。もし、そうしたテロ攻撃が欧州各国や米国で、例えばロンドン、ニューヨーク、ワシントンで起きたら、メディアは何と言うだろうか」。
<隣人に牙をむく隣人>
一連の出来事は昨年8月25日、ロヒンギャの反政府集団がラカイン州北部にある警察署と軍の基地に対して行った襲撃から始まった。身の危険を感じたインディン村の数百人の仏教徒村民たちは修道院に逃げ込んだ。8月27日、ミャンマーの第33軽歩兵部隊およそ80人が同村に到着した。
村の5人の仏教徒によると、部隊を統率する兵士の1人は到着後、彼らに対し、治安作戦に参加することもできると持ちかけた。実際に仏教徒の「治安グループ」から名乗りを上げる者が出たと言う。
その後の数日間で、兵士、警官、仏教徒村民たちは同村のロヒンギャたちが住む家のほとんどに放火した、と10人以上の仏教徒住民がロイターに証言した。
警官の1人は、ロヒンギャが住む地区へ「出かけて浄化する」よう司令官から口頭で命令を受け、放火しろと言う意味で受け止めたと話した。インディンの北にあるいくつかの村に何度か襲撃を仕掛けたという別の警官もいた。その警官とインディンの仏教徒行政官であるMaung Thein Chayによると、こうした治安部隊は村人たちに紛れ込めるよう民間人のシャツを着ていたという。
ロヒンギャたちがインディン村から逃れた後に起きた略奪について、仏教徒たちがニワトリやヤギなど奪う一方、オートバイや畜牛といった価値の高い物品は第8治安警察隊の隊長が集め、売り払ったとの証言もあった。この隊長であるThant Zin Ooは、ロイターの電話取材に対し、コメントしなかったが、警察の広報を務めるMyo Thu Soe大佐は、略奪があったかどうか捜査すると話している。
昨年9月1日までには、数百人のロヒンギャ住民がインディンから近くの海岸に避難していたと、複数の目撃者は話す。彼らの中に、殺害された男性10人がいた。彼らのうち5人は漁師または魚売りだった。その他の2人は店の経営者、2人は学生、1人はイスラム教指導者だった。
ロヒンギャたちの証言によると、このイスラム教指導者Abdul Malikは食べ物や竹を取りに村に戻っていた。避難場所に戻る時、少なくとも7人の兵士と武装した仏教徒の村人が後をつけてきた。その後、兵士はロヒンギャたちから男性10人を選んだという。
その夜に撮影された1枚の写真には、村の小道にひざまづく10人の姿が写っている。仏教徒村民の話では、9月2日、彼らは墓地近くの低木地に連行され、そこで再び写真を撮られたという。
兵士らは彼らに、行方不明となっている仏教徒の農民、Maung Niの消息を問いただした。ロイターの取材に対し、複数の同州仏教徒とロヒンギャ住民は、10人のうちの誰かと行方不明の農民を結びつける証拠については何も知らないと答えた。
仏教徒3人は、兵士がこの10人を処刑場所に連行するのを目撃したと話した。墓穴を掘った1人である元軍人のSoe Chayによると、現場を仕切る将校が、行方不明になっているMaung Niの息子たちを呼び、最初の一撃を加えるよう促した。そして、長男がイスラム教指導者のAbdul Malikを斬首にし、次男も他の男性の首を切り落としたという。
殺害後の様子をとらえた写真をロイター記者に提供したラカイン州の長老は、その理由をこう語った。
「この事件で起きたことをはっきりさせておきたい。この先、二度とこのようなことは繰り返して欲しくない。」
(Wa Lone、 Kyaw Soe Oo、 Simon Lewis、Antoni Slodkowski 翻訳編集:北松克朗、伊藤典子)