貧乏暮らしをしながら献身的に夫を支える「糟糠の妻」という言葉。最近では、成功した芸能人が苦労をともにした妻を捨て、不倫に走ったといったスキャンダルが目立ちますが、この「糟糠」の語源とはなんでしょうか。由来は1800年前の中国・後漢の頃にさかのぼります。
糟とは、酒を醸造する過程で残された酒かすのことで、糠とは、イネ、麦、アワなどの実からはげ落ちる外皮のことを指します。米ぬかもその中の一つです。つまり、糟糠とは粗末な食べ物を指し、古代では貧乏人が飢えをしのぐために口にしたものでした。
後漢(25年 – 220年)の光武帝と大臣の宋弘にまつわる故事に、糟糠の妻という言葉の由来が出てきます。
宋弘という人物は清廉潔白で、光武帝に気に入られました。ある日、光武帝の姉にあたる湖陽皇女が夫と死別し、再婚の相手を探していました。光武帝に意中の人物がいるのかと聞かれ、湖陽皇女は品徳と才識に優れた宋弘が良いと答えました。光武帝も彼女の意見に賛成しました。
光武帝は宋弘を呼び出し、湖陽皇女にはこっそりと屏風の後に座らせました。光武帝は宋弘に質問しました。「出世すれば友を換え、金持ちになったら妻を換えるという言い方がありますが、あなたはどう考えますか」。宋弘は答えました。「臣聞く、貧賤の友は忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず」(私の聞いたところでは、高貴になっても貧困の時の友を忘れてはならず、苦労をともにした妻は捨ててはならない)。これを聞いてさすがの光武帝も諦めがつき、湖陽皇女に対して「これでは見込みがない」と伝えました。『後漢書 第26巻 宋弘伝』
この故事から、糟糠の妻を捨ててはならないという古人の教訓が生まれました。
中国古代では、結婚のときに「はじめは天と地に、次は二人の両親に、最後は結婚の相手に敬意を表す」という儀式を行っていました。日本の伝統的な挙式スタイルにも神前式があります。結婚は神の結び合わせという考えは、どの民族にも共通していました。今や離婚が簡単な選択肢となってしまいましたが、今一度、妻や夫との別れを切りだす前に、考え直してみませんか?
(翻訳編集・李沐恩)
大紀元日本、EPOCH TIMES JAPAN より転載