【春秋戦国時代】「彼は賢臣なれども忠臣にあらず」賢妃から荘王への忠告

荘王、立派な姫のおかげで覇権を手にする

樊姫(はんき)は楚の王、荘王の正室でした。およそ2600年前、彼女は機知と知恵のある立派な姫でした。樊姫の補佐のおかげで荘王は中国春秋時代(紀元前770〜476年)の五覇の一人になったのです。

荘王は即位すると、狩猟に明け暮れるようになりました。樊姫は何度となく政事を疎かにしてはならないと助言しましたが、荘王は聞く耳を持ちません。荘王は獲物を狩っては調理させましたが樊姫は食べませんでした。

そんな彼女の強い意志が荘王を動かしました。荘王は森を遊び歩くのをやめ、国内を回るようになり、楚は強大な国に発展していきました。

荘王は虞丘子( ぐきゅうし )を気に入って信頼していました。ある日、朝廷で政事を取り仕切る虞丘子に荘王は感心しました。彼は虞丘子の話に夢中になり、食事の時間も忘れるほどでした。

樊姫はどうしたものかと思いました。朝廷での政事が終わると樊姫は荘王に聞きました。「なぜ食事を召し上がらないのですか?お腹が空いていないのですか?それとも疲れているのですか?」

荘王は言いました。「優秀な人間と話していると空腹も疲れも忘れてしまうんだ」

「優秀な人とはどなたのことですか?」とたずねると、虞丘子だと荘王は答えました。

樊姫は口に手をあてくすくすと笑いました。

「何がおかしいんだい?」と荘王が尋ねると樊姫はこう答えました。「虞丘子には才能があるのかもしれません。しかし彼には忠誠心がありません」

困惑した様子で、荘王はなぜそう思うのか聞きました。

すると樊姫はこう答えました。

「私はあなたを11年間待ち続けました。過去10年、私は王のために人を鄭や衛に派遣し、才覚のある美女を探しました。私が見つけた人たちの中で二人は私よりも素晴らしく人徳があり、七名は私と同等でした。本当は私はあなたのお気に入りの唯一の妃になりたかったです。しかし私は、妻の務めは王を補佐する人を見つけることだと学びました。私は自分の利益のためにあなたに優秀な人間を推挙しないような自分勝手な人間ではありません。なので、どうか人徳があり賢い人を見つけてください」と彼女は言いました。

「虞丘子は10年以上仕えておりますが、彼は金持ちでしかない人や一族ばかり登用しています。賢者の登用もなく、不正を働く人間も排除しません。彼は王に忠義ではないですし、王の能力を発揮する妨げになります。並外れた能力の持ち主を知っているにも関わらず推挙していないとなれば、彼は王に忠義ではないということです。または虞丘子が優秀な人材の能力に気づかなかったのだとしたら、彼は無知だということです。だから私は思わず笑ったのです」

樊姫の言葉は賢明で理にかなっていました。荘王は感心しました。

後日、荘王は樊姫の言葉を虞丘子に伝えました。虞丘子は椅子から飛び上がり言葉もありませんでした。

虞丘子は優秀で有望な人物を見つけるために各所に人を送りました。のちに彼は孫叔敖(そんしゅくごう)を迎え荘王に推挙しました。孫叔敖はやがて王を補佐する最高位である令尹(れいいん)になりました。孫叔敖の補佐で楚は強大な国になり、荘王は春秋五覇の一人となりました。楚の文化もまた栄えました。

漢王朝の劉翔の著作「烈女伝」で樊姫を絶賛しています。

楚の歴史書からも、荘王の覇権は樊姫によるところが大きく才覚のある姫であったことがわかります。

 
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