【三国志】黄月英~諸葛孔明の妻 そのなれそめは?

諸葛亮は早くに父を亡くし、17か18歳の頃、河南省臥龍崗に移住し、藁ぶき屋根の家を建て、晴耕雨読の生活を送っていました。

臥龍崗の名士であった黄承彦は、賢くまっすぐな性格の諸葛亮を気に入り、よく訪ねるようになりました。諸葛亮も知識豊富な黄承彦を慕い、教示を受けたりしていました。

間もなくして、黄承彦は娘、黄月英との縁談を諸葛亮に持ちかけました。彼女が醜いという噂を耳にしていた諸葛亮は、言葉を濁し、はっきりと返事をしませんでした。

それからも諸葛亮と黄承彦の交流は続きましたが、縁談の話は互いに避けていました。

ある日黄承彦が諸葛亮に言いました。

「私は君を訪ねるけれど、君は一度も我が家に来たことがない」

諸葛亮は答えました。

「私の無礼をお許し下さい。次は私がお訪ね致します」

数日後、諸葛亮は黄承彦の邸宅を訪ねました。門番に名前を名乗ると、門番は言いました。

「旦那様から、諸葛亮先生がおいでになったらお通しするよう仰せつかっております。どうぞお入り下さい」

諸葛亮が最初の木戸を入って進んでいくと、2番目の木戸が閉まっていたので、こんこんと叩きました。すると、木戸が開きました。中に入ると、木戸が勝手に閉まったので、不思議に思いました。

中を見渡していると、突然犬2匹が吠えながら自分をめがけて走ってきました。逃げたい諸葛亮は木戸を開けようとするのですが、開きません。慌てふためきながら逃げ回っていると、下女が犬に走り寄り、犬の頭をポンと叩きました。するとさっきまでものすごい勢いで吠え追いかけてきた犬がパタリと大人しく座りました。 次に下女が犬の耳をねじると、犬は花壇の裏に走り去っていきました。

諸葛亮は興味を持ち犬を追いかけてみると、それは木のからくりを犬の毛で覆ったものでした。誰が発明したものかを尋ねましたが、下女はただ微笑し、去ってしまいました。

犬のからくりに追いかけられる諸葛亮 by Sng Chen Chen/Epoch Times.

諸葛亮が3番目の木戸を進むと、虎2頭が自分をめがけて走ってきました。また木のからくりだろうと思った諸葛亮は、虎の頭をポンと叩きました。しかし、虎は座るどころか、大きな口を開けて飛び掛かってきました。

虎に抑え込まれ、身動きができないでいると、下女がやってきて言いました。

「あなた様は賢いつもりでいらっしゃるようですが、犬の時のやり方が虎にも通用するとお思いですか」

下女が虎の尻をポンと叩くと、虎は座り静かになりました。

諸葛亮は気恥ずかしくなり、ため息をつきながら言いました。

「とても広すぎてお屋敷に辿り着くことすらままならない。私に進み方を教えておくれ」

しかし下女は言いました。

「申し訳ございませんが、麺作りの製粉中でございまして・・・」

見ると、木製のロバが円を掻き、製粉が行われれいたのです。諸葛亮は呆気に取られ、呟きました。

「黄先生が博学なのは存じ上げておったが、こんなこともできるなんて驚いた」

下女は笑って言いました。

「ご主人様はこんなことに時間をお使いになりませんよ」

諸葛亮は改めて驚きながら尋ねました。

「では一体どなたが作ったのであろう?」

「どうぞお進み下さい。お判りになりますよ」

しかし、また痛い目に遭うのではないかと、諸葛亮は4番目の木戸を開けるのを尻込みしていました。すると木戸が開き、目の前に女性が現れました。女性は少々肌が黒く、あばたがあるものの、気品と威厳に満ちていました。

女性は下女に尋ねました。

「このお方はどなた?」

下女が応えようとするその前に、諸葛亮は頭を下げ申し出ました。

臥龍崗から参りました諸葛亮と申します。黄承彦恩師を訪ねて参りました」

「お入りください」と言い残し、女性は中に消えて行きました。

諸葛亮がぼうっと立ちすくんでいるのを見た下女が言いました。

「姫の後に続いて下さい。姫が木戸を開けている間は、何もかも止めてくれますので、怖いものはございません」

諸葛亮はそれでも注意を払いつつ、女性の後に続きました。角を曲がり、木戸を幾つか越えると、お屋敷に到着しました。

黄承彦は諸葛亮を2階に通しました。腰を下ろすなり、諸葛亮は話し始めました。

「恩師、ここまで辿り着くのは大変でした」

途中何があったかを話し、誰がからくりを発明したかを尋ねました。

黄承彦は大笑いしてから言いました。

「私の醜い娘じゃよ。娘はいつもあんなものを作っているんじゃ。君を驚かしたなんて、失礼だったな」

それを聞いて、諸葛亮は頬を赤らめ、心の中でつぶやきました。

「お前は本当にまぬけだ。恩師が娘の縁談を持ちかけて下さったのに、外見が醜いからと侮った。こんなに才知溢れた女性に一体どう出会えるというのだ!外見なんてどうでもいいのだ!」

そして言いました。

「お嬢様の才知に及ぶ者はおりません。心から尊敬致します」

黄承彦は答えました。

「娘はとても醜い。ある者に縁談を持ちかけたのだが・・・」

黄承彦が話し終える前に諸葛亮が跪いて言いました。

「お義父様を尋ねに参りました!」

黄承彦は笑い、諸葛亮を立ち上がらせました。

その後、諸葛亮と黄英月は結婚しました。互いを敬いながら、互いの知識を譲り合いながら、暮らしたそうです。

物資を運ぶための木牛や流馬など、諸葛亮が発明したものは幾つかあり、『三国志』の中にも記されていますが、それらの案は夫婦で話している時に生まれたそうです。

 

 
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