チベットを「解放する」という名目のもとで、中国共産党はこのかつては平和な国であったチベットを完全に破壊してしまいました。多くの僧侶が虐殺され、神聖な宗教施設のほとんどは廃墟と化しました。チベットにもともと2700あった寺院のうち、現在残っているのはわずか8です。
中国当局はチベット人の精神的リーダーを国外追放しただけでなく、「地域の発展を支援する」という名目で、ラサに漢民族を大量に送り込んでチベットの民族文化を抹殺しました。
これからご紹介するのは、中国共産党の支配が始まる前のチベットおよびその支配下のチベットの様子です。
中国共産党による支配が始まる前のチベット
手作りのチベットの民族衣装
ダライ・ラマは精神的そして世俗的な指導者です。
僧侶の少年たちはおそらく初めてカメラを見ました。
ダライ・ラマ13世のトゥプテン・ギャツォが1913年、書面でチベットの独立を宣言しました。
1938年の軍事パレード。今日ではチベットの国旗を掲げることは固く禁じられています。この写真は中国共産党が侵略してくる前に撮られた歓迎の光景を示しています。
1940年2月22日、ラサでダライ・ラマ14世の即位式が行われました。
現在、伝統的な儀式のほとんどが中国政府によって禁じられていますが、かつてはチベット人たちの生活にとって非常に大きな意味を持っていました。
貴重な宝石でできた装飾品を身につけ、美しく着飾ったチベット人の女性
写真に写っている美しい少女たちは、少しカメラが恥ずかしいのでしょうか。
伝統衣装
ダライ・ラマ14世はチベットではもう見られなくなりました。彼の写真は中国政府によって違法とされています。
1941年のアメリカ軍の地図は、チベットを国として表記しています。
中国共産党支配下のチベット
中国共産党の思想はすべての宗教と相いれないものです。
2008年にニャバで行われた軍による弾圧では、多くの僧侶が逮捕されました。
僧侶たちは中国警察から手荒な扱いを受けました。首にかけさせられたプラカードには「分離主義者」と書かれています。
八角街に真っ赤な中国共産党の旗が並んでいます。八角街は、巡礼者やラサに住む住民たちが集う最も人気のある場所です。
毛沢東は、チベット人たちの精神をくじくため、ダライ・ラマの住居だったポタラ宮殿を破壊したかったのです。しかし、観光地として収入源になると考え、残すことにしました。この写真でも中国政府の真っ赤な旗が目立っており、チベットの支配者は誰かをチベット人たちに見せつけています。
今日のラサでは、寺院でパトロールする中国の警察の姿が見られるのは珍しいことではありません。
ガンデン寺は、1959年に人民解放軍によって破壊されました。この寺はチベット仏教の4大宗派の1つであるゲルク派の寺院でした。
1958年に撮られたこの写真は、当時よく見られた光景を示しています。
ここラモチェ寺で見られるように、毛沢東はチベット人たちに彼を神格化することを強制しました。
残念ながら、チベットに勝ち目はありませんでした。
毛沢東はまず「文化大革命」で中国5000年の歴史や文化の破壊を命じ、その後、彼の目はチベットへと向けられました。
共産党の独裁体制を称賛する歌を歌うことを拒否するチベット人には、罰金が科されます。
ラサは、当局による警備が最も厳しい都市の一つです。
チベット亡命政府は、中国による支配の直接的な結果として100万人以上のチベット人たちが不自然な死を遂げたと主張しています。
独立調査によると、中国共産党は法輪功学習者の他に、チベット人たちとウルグル人たちをも臓器摘出の対象にしています。