中国の漢方にはいろんな治療法があります。その中の一つが「驚恐(きょう きょう)療法」という方法。簡単にいうと、患者をびっくりさせ、驚かせて病状を快復させるやり方です。「えっ?」と思われるかもしれませんが、実際にあったようですね。それにまつわる物語をご紹介します。
中国の明・清の時代、官僚登用のために科挙(か きょ)試験がありました。科挙試験は「院試験、郷試験、会試験、殿試験」の4つのステップに分けられています。最初の院試験に合格すれば、次の郷試験を受ける資格が得られます。しかし、郷試験は3年に一度しかないので、受ける人数は自ずと増えます。このように、段階を踏んで最後の試験に到達するのです。かなりの競争率と過酷な勉強、そして、経済的事情などで最後までたどり着くのは大変だったそうです。
4つ目の「殿試験」は皇帝自らが行うもので、トップを通過した者に「壮元」の称号が与えられます。科挙に合格すれば、官僚になって地位や名声と富が保証されます。
話は戻りますが、明の時代、この試験に落ち続ける人がいました。名前は范進(はん しん)。貧しい生活を送る彼はコツコツ勉強して、54歳にしてようやく第一段階の試験を通過し、「秀才」という資格を取りました。これは喜ばずにはいられません。その後、さらに郷試験の合格通知を受けた范進は、「楽しみ極まれば必ず哀しみ生ず」のごとく、喜びのあまり頭がおかしくなってしまったのです。
周りは慌てふためき、誰かが「驚恐療法」を言い出したので、范進が最も恐れる人、彼の義理の父を急いで連れてきました。「目を覚ませ! 有頂天になるな」と義父は大声で怒鳴り、いきなりパシッ、と范進にビンタを一発食らわしました。すると、范進はなんと正常に戻ったのです!
嘘のような話ですが、ちゃんと古書に記載されているのです。実は、漢方では、人間が持つ五臓は喜・怒・哀・憂・恐の五つの感情と互いに影響し合い牽制し合うと考えているようです。つまり、次のような関連性があると考えられています。
怒の感情は肝臓を傷めます。哀の感情は怒を制します。
喜の感情は心臓を傷めます。恐の感情は喜を制します。
思の感情は脾臓を傷めます。怒の感情は思を制します。
憂の感情は肺を傷めます。喜の感情は憂を制します。
恐の感情は腎臓を傷めます。思の感情は恐を制します。
何となく分かるような気もしますね。確かに、カッとなった時には体が熱くなるし、心拍数も早くなります。過度の感情が生じると体の中は急に変化し、各部位の器官が働き出すので、内臓は大きな負担がかかりダメージを受けますね。
漢方では感情と感情が互いに牽制する働きがある、つまり、一つの感情がたかぶりすぎたことでもたらした病状に対して、別の感情をもって調整するということです。それが「以情勝情」(情緒の変化で情緒の病気を治す)という心理療法です。理にかなっているかもしれませんね。
心の問題がもたらした病気を治療するやり方は、「驚恐療法」の他に、「激怒療法」「悲哀療法」「喜楽療法」などの心理療法もあるそうです。
漢方とは薬草だと思われがちですが、古くからこういったおもしろい心理療法があったとは実に新発見ですね。