【春秋戦国】斉王に求婚した40歳の平民の醜女 彼女の真意に驚愕する

戦国時代 (475–221 B.C.) 、斉の国に醜い女性がいました。彼女はもう40歳でしたがまだ独身でした。ある日、彼女は王の宮殿に行き、王と結婚したいと申し出ました。驚いたことに、王は本当に彼女と結婚して、彼女を女王にまでしたのです。

女性の名は鍾離春(しょうりしゅん)ですが、出身地が無塩(ぶえん)ということで無塩女と呼ばれました。西漢(206 B.C. to A.D. 24)の歴史学者劉向(りゅう きょう)が編集した『列女傳(れつじょでん)』によると、無塩は、比類のない醜さだったそうです。本の描写によると、彼女の外見で際立っていたのは、突き出たおでこ、突き出たあご、くぼんだ目、上に傾いた鼻、太い首、少ない髪、はと胸、丸まった背中、そして暗い顔でした。

しかし、無塩は自分の容貌については何とも思っていませんでした。40歳でまだ独身であることも全く気にしませんでした。

ある日、無塩は故郷を1人で離れて、斉の首都までやって来ました。彼女は宮殿の門まで行き、警備の兵士たちに、「私は夫となってくれる人を見つけられない斉の女性です。王様はご聡明な方だと伺っております。宮殿で清掃員として働きたいのです。ここで謹んで待っておりますので、どうか私の願いをかなえてください」と言いました。

当時の斉の王は宣王でした。警備の兵士たちが無塩のことを伝えたとき、王は側近たちと食事を始めようとしていたところでした。周りにいた側近たちは大笑いしました。「なんて変わった女だ」

実は無塩は、宮殿を掃除すると言うことで、「私は宣王と結婚したいのです」ということを暗示していたのです。

王は、好奇心から無塩に会うことにしました。彼は無塩に尋ねました。「そなたは故郷で夫を見つけられないというのに、王と結婚したいと申すのか。どのような才能を持っておるのじゃ」

無塩は答えました。「私はいかなる才能も持っておりません。ただ王様の徳を尊敬申し上げているだけでございます」

宣王は言いました。「やはり、私はそなたに何ができるのかを知りたい」

無塩はしばらく黙っていてから、「私は消えることができます」と言いました。

王は驚きました。彼は言いました。「ぜひとも見てみたいものじゃ。見せてくれないか」彼が話し終える前に無塩は消えてしまいました。

王はあぜんとしました。彼は急いで消える術についての文献を探し、読み始めました。しかし、王は無塩がどのようにして消えることができたのか解明することができませんでした。翌日も王は無塩を呼び出しました。

無塩は宣王からの消えることについての質問には答えませんでした。その代わりに、目を大きく見開いて、歯を食いしばって、手を挙げたり膝を触ったりしながら、「危険」「危険」「危険」と数回繰り返しました。

宣王はまた夢中になりました。彼は、「どうかもっと教えてくれたまえ」と言いました。

無塩は、「斉は4つの危機に直面しております」と言いました。

彼女によると、最初の危機は、斉は恐ろしい敵たちに直面しているのに、宣王はまだ指導者としての信頼を得ていないため、もし王国に何かが起これば、兵士の士気が上がらないだろうというものでした。

2番目の危機は、人々は五重の高殿を建設することに疲れ切っているということでした。

3番目の危機は、徳のある人々は隔絶された場所に住まわされており、王の側近たちは裏切りかねない不実な人たちばかりであるというものでした。

4番目の危機は、王は国を統治することに全力を傾けず、道楽にふけっているということでした。

宣王は無塩はただ者ではないと思い始めました。単なる未婚の醜女ではなく、天からの恵みに違いないと王は思いました。

彼は、五重の高殿を破壊させ、道楽をやめ、王にこびへつらう側近たちを更迭しました。彼はまた、息子を皇太子とし、母親にこれまで以上に孝行するようになりました。

無塩は宮殿に清掃員としてではなく、皇后として招かれました。

彼女は鍾無塩として知られるようになりました。

中国の歴史では、斉は戦国時代にあった7つの国の1つでした。そして、斉は秦が中国を統一するにあたって最後に滅ぼした国でした。斉は10,000台以上の戦車を所有しており、諸子百家が登場する原点ともなりました。

『列女傳、斉の鍾離春の巻』によると、鍾離春は正直な人で、雄弁だったそうです。宣王が斉を強い国に生まれ変わらせることができたのは、彼女のおかげだったのです。

 

 
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