私たちは、裸足で活動をするとより良い動き方を学ぶことができます。
若い男の子たちが靴で生活をしているのは世界共通ではないことが、最近の調査でわかりました。ドイツの10代の子ども達は、一日のほとんどの時間を靴を履いて過ごします。一方で、南アフリカ人の約90パーセントは裸足で一日を過ごします。
気候の大きな違いは別として、ドイツより経済ランキングが低いという理由から、南アフリカでは裸足で生活する人が多いというように考えるのも不思議ではないでしょう。最近の調査結果はこの理由に疑問を呈しています。
今回は、ニュージーランドでも裕福なエリアの、オークランドの中学生714人の男の子の履物の習慣について調べました。
その情報によると、ほぼ半分(45パーセント)の生徒が多くの時間を裸足で過ごしていたのです。この調査の中で、100〜3000メートル距離の硬い路面を裸足で走ってもいいという生徒も多く出ています。
足の構造
一度も靴を履いたことのない人と、靴を履く習慣がある人の足の構造の違いは、1世紀以上もの前に述べられていました。1905年にフィル・ホッフマン氏が発表した影響力の大きい研究報告では、足の健康問題を無視して顧客の流行への欲求を優先したことで、「足先を詰め込む」靴のデザインが作られるようになったと指摘しました。
靴を履く習慣の中で育った人の主な特徴は、足の幅が狭く土踏まずのアーチが低いということがわかりました。このことから、動いている時にかかとと親指の付け根のふくらみに集中的に圧力がかけられることになります。
一方で、裸足で育った人の足を見ると、足幅が広く圧力は足の外側からつま先にかけて全体にかけられていることがわかります。
生まれたままの姿で走る
靴を履いて生活することが、運動能力の発達やスポーツでのケガのリスクに影響するかどうかはわかっていません。しかし、論理では裸足で過ごすことはいい事だということが示されています。
足のかかとは痛みに非常に敏感です。そのため、かかとで地面に着地するのを回避しようと、人が裸足で走る時、足にかかる圧力は中央から前方の足へとかかります。これによって足にかかる衝撃をより広い表面積で吸収することができるのです。
かかとから着地するのを避けるためには、足が体の前より遠くに出すぎてはいけません。結果として、裸足のランナーは短い歩幅で走る傾向にあり、短い歩幅で走るには少ない伸展が必要となります。それが何故、裸足のランナーはより膝の屈曲力を持ち、地面に向かってつま先がツンと伸びた足を持っているわけです。これらの関節位置が、膝の周りの筋肉を着地する際に制御するのを助け、足首をばねのような役割を働かすことができるのです。
靴を履くことの問題点
足のかかとを覆うことは、地面に直接接触する時の感覚が軽減されます。運動靴には、かかとにクッションがついているため、ランナーが伸びた脚でかかとから着地できるようになっています。これがおそらく、現代の75パーセントのランナーがかかとで地面を着地している理由でしょう。
脚を伸ばして走る(大股で走る)ことは、少ない筋肉の支えの中で全ての圧力がかかとや骨組織、関節が吸収する結果になります。ランナーの多くのケガは圧力を吸収できるような構造(脛、足、膝)になっていないのがその理由の一つかもしれません。興味深いことに、人々が靴を脱いで走ると、中央やつま先で蹴る自然な走り方に戻るのです。
殆ど裸足で育った子供やティーンエージャーは、靴をはかなくても、走りがより早く、そして長距離を走るのに十分な丈夫な足を持っています。
私たちが調査したニュージーランドの生徒たちの中で、足の痛みを訴える有病率は、世界の同年齢の生徒たちの中でも最も低いです。この調査結果で、ケガの予防についての靴の役割の証拠がないのですが、できるだけ子供のうちから裸足で過ごす方がが理にかなっていると言えそうです。
多くの西洋諸国では、裸足での活動に対して、社会的に受け入れられない障壁がありますが、結果として、裸足で生活してこなかった大人は、裸足で生活してきた人のようにのびのびとした素早い足の行動力、足の構造や脚の筋肉を持っていません。
裸足の生活に慣れていない人には、ゆっくりと時間をかけて裸足で歩いたり走ったりしていくことが重要な鍵となります。足の構造を真似た靴(ミニマリストシューズ)の利用可能性が増え、足を覆う以外にクッション性を最小にした靴は、人々が裸足で過ごす生活に移行するのに役立ちます。このように改良されデザインされた靴は、社会的に受け入れられない問題の解決にも役立つでしょう。