日本の自動車産業は1970年台に大きく躍進し、世界のトップランナーとしての地位を確立しました。ロサンゼルスのピーターソン自動車博物館では今、日本の自動車産業100年の歴史展が開催されています。ここでは新車の設計時に、日米がどのように影響し合ってきたかを探り、自動車文化を新たに定義しています。
同博物館では、これまでで最も代表的な日本車が展示されています。スポンサー企業の日産と三菱の協力により、日本から多くの車両が運ばれてきました。
最初の展示会場では「ものづくりのルーツ 日本の自動車産業にみるクリエイティブ・スピリット」と銘打って、日本が70年代に市場を席捲する数年前の、自動車設計哲学における重要な要素が展示されています。
次の展示会場は「ファインチューニング 日米の慣習」。日本と米国の市場における日本自動車文化の勃興、そして日米がどのように影響し合い、自動車文化を再定義してきたかを探っています。
同博物館の首席歴史学者 レスリー・ケンドル氏は、この2つの展示で、日本の自動車文化に新たなアプローチを提供しているといいます。
ケンドル氏によると、日本では1917年に早くも、流れ作業ラインによる生産が始まりました。その後は設計や生産の面で西欧化が進みました。
歴史学者 レスリー・ケンドル氏
「このようにして、日本は自国で車両を生産するために、最終的に必要な専門知識を獲得し、ついに市場を席捲した」
数ある展示の中でもひときわ人目を引くのが、67年にトヨタが生産した日本初のスーパーカー、2000GTです。
この車は当時、ジャガーなど欧州の高級車の競合車として製造されました。この初代モデルは、コレクター市場で1億円以上の価格で取引されています。
69年の日産R382も注目の一台です。この車は1969年日本グランプリで、当時時代をリードしていたポルシェなどのライバル車を抑え、優勝を果たしました。
89年以降、レクサスやインフィニティなどの高級ブランドが米国市場に参入したことで、日本車に対する人々の認識に再度変化が生じました。
自動車専門誌の編集者 マーク・ヴォーン氏
「大衆車からラグジュアリーな高級車、そしてホンダNSXのような高性能のレーシングカーに到るまで、ここでは日本の自動車文化のすべてを見ることができる」
この展示は来年4月14日まで公開される予定です。