清の時代にある農村に大金持ちがいました。彼は頭が悪いと周りからバカにされていました。しかも、計算や商売の事は全く分からないのに家のお金が減ることは全くありません。また健康にも無頓着ですが病気もしません。それだけではなく何か厄介なことに出会っても必ずうまく解決できるのです。こんな話があります。
ある日、彼の家で召使いが首を吊りました。村のならず者や意地悪な者たちは、彼を嬲りものにしようと、役人にこのことを大げさに伝えました。それを聞いた役人たちも面白半分に駆けつけました。役人が召使いの死体を調べようとした時、彼女の手足が微かに動いたかと思うとなんとあくびをしながら背伸びをして、起き上がりました。まわりのものは死んだはずの召使いが蘇ったと思いました。
意地悪な役人たちはお金持ちに「自殺に追い込んだ」罪を着せようと召使いを言葉巧みに誘導しました。しかし召使いはこう言いました。
「家の奥様方はみんな美人ばかりでご主人様が私のことまで眼を配ることはないでしょう。もしご主人様が私のことを気に入ってくれたなら、私は喜ばずにいられないのに、自殺するわけはないではありませんか。私が首を吊ったのは実は私の父親が理由もなく役人の拷問を受けて死んでしまったからです。怒りと悲しみで私は自殺しようとしただけです。これが原因なのです」
結局、役人たちは大金持ちに罪を被せることもできず帰って行きました。大金持ちにふりかかってくる厄介なことはいつもこのように解消されるのです。みな頭の悪い大金持ちが、なぜこれほどの幸運に恵まれているのかと不思議に思っています。そこである人がある占い師に尋ねました。するとその占い師はこう答えました。
「皆さんはご存知ないでしょうが、彼の幸運はまさに彼の頭の悪さからきているのです」
「彼の前世は田舎に住む老人で、とても誠実で人と争うような心を一切持っておらず、何事にもくよくよしません。そして毎日を平々凡々と暮らし、私心はなく、人を恨むこともありません。誰かにいじめられても相手とやりあうような心はなくて、誰かに騙されることがあっても、人に対して全くあけっぴろげです 。人に罵られても相手を憎むこともなくて、人に陥れられたとしても相手に仕返しすることもしません。その前世では大きな功徳を持っておらず彼は老いて亡くなりましたが、神さまは今世に彼に良い報いを得る人生を与えました」
生まれ変わった彼には才能も知識もないのですが、その前世と同じく単純な本性を失っていないからなのです。清朝の名臣・紀暁嵐はこれらの珍しい話を『閲微草堂筆記』にまとめています。