日本人は食事をする際に、両手を合わせて「いただきます」と言う習慣があります。中国語ではよく「ご飯を食べましょう」と翻訳されがちですが、実は違うのです。漢字では「頂きます」と書きますが、「頂き」とは頂上を意味し、高いところから敬意を持って受け取るという意味です。
日本のある専門家は「日本人は動物や植物といった生き物の命を頂くので、感謝の気持ちでこの言葉を語る」と解釈しました。本来は人々に食物を与えた神霊と大自然に対する尊敬と感謝の気持ちを表す言葉ですが、だんだん農作物をつくるお百姓さんや働いている人たちに感謝する言葉として使われるようになり、現在では一種の食卓文化となっています。
「頂きます」と言う時には必ず両手を合わせ、敬意を持って感謝の気持ちを語ります。日本人は小さい頃からこのような教育を受け、食事をいただく時には感謝の気持ちを忘れないようにしています。親は食卓の前で子供たちに食べ物を得るまでの苦労やお米にまつわる言い伝えを教えます。
日本には「お米の中には7人の神様がいる」という言い伝えがあり、食べ物を粗末にすると神様の怒りが下り、罰が当たると言われていますが、中国にも似たようなお話があります。
宋の時代の何遠が書いた『春渚紀聞』にはこのような物語が収録されています。北宋の時、陳秀公という大臣がいましたが重病を患っていました。友人の元絳も重病に罹っていて、ある日、陳秀公は使いを見舞いに送り、「私は先が長くないが、お前はすぐ快復するだろう」と伝えさせました。実は彼は、ある夢を見たのです。
その夢の中で陳秀公はどこかの部屋の中にいたのですが、その部屋にはたくさんの土瓶があり、その土瓶の上には「元參政のご飯」と書かれていました。「元參政」とは、元絳のことでした。そこにいた見張りの者が、元絳が小さい頃から食べ物を粗末にしたことがなく、食べ残しがある時は次回の食事に回したりしたので、多くの福分を積み、寿命を10年延ばすことができたと言いました。一方、食べ残しを捨ててしまう者たちは寿命と福分が削られると言いました。
陳秀公が言った通り、元絳は快復し、元気に余生を過ごしましたが、陳秀公自身はまもなくして亡くなりました。
中国の伝統文化では、人が一生の間に得る財や物の量は決まっており、生々世々に積んできた福分によって、その量が決められると言われています。したがって、もし無駄にした食べ物がその人に与えられた量を超えた場合、その分は寿命や財産などの他の福分が削られることになるのです。たとえ自分の物であっても、無駄遣いしてはならないと、昔の人は言っていたのです。今持っている全てを大切にし、感謝の気持ちを忘れないと、末長く幸せでいられるでしょう。