死者から夢を授かることはありえるのでしょうか?それとも「あることを常に考えているから夢にまで出てきた」のでしょうか?
聖綾(せいりょう)さんは現代社会に生きる数少ない超能力者の一人です。彼は死者の世界や別次元の空間について様々なことを知り、死者が夢枕に立つことが実在し、現代だけではなくて、古代にもたくさんの例があると語っています。
人間は死んだ後の7日間、つまりあの世での審判を受けるまでの期間は死者の未完成の願いを完成させるために与えられた時間です。そのときに死者が夢枕に立つことがあります。メッセージを受ける者は通常死者と比較的縁の深い者が多く、死者の最愛の家族というのが一般的です。例えば、聖綾さんの父親は生前、長女を一番可愛がっていました。亡くなった直後、父親は長女の夢枕に立ち、弟と妹そして、母親の面倒を見るようにと告げました。
聖綾さんは、死者が夢枕に立つ場合、その夢枕に立った人の魂を死者のいる空間に導かなければならないと言います。一方、導かれた者は別の空間にいるにも関わらず、夢の中にいるように感じるといいます。目が覚めている時に亡くなった親族や友人を見たという人もいます。どういうことでしょうか?死者とメッセージを受ける相手が共に修行する者で、そのような能力を持っていれば、死者は夢を通してではなくて、その相手と直接コンタクトをとることができます。
親族や友人の他に見知らぬ人が夢枕に立つこともあります。特に人々が興味を示すのが殺人事件で殺された者が面識のない警官の夢枕に立つという話です。彼は夢の中で犯人の特徴や氏名など、事件解決への鍵を告げます。台湾の有名な法医学者・故楊日松氏もかつて被害者が夢枕に立ったことがありました。死者は冤罪を晴らしてもらいたくて助けを求めているのだと聖綾さんは解釈しました。このとき鬼差(地獄の役職)または氏神が手助けをして、夢を授けられる人を探してあげます。一方、メッセージを受ける者は一定の修養のある者か修行を積んだ者でなければなりません。
楊日松氏は生前修行してすでに得道していたと聖綾さんは言います。他の次元の空間で、楊日松氏の頭上には光の柱のようなものが見えます。すると、鬼差または氏神は死者に対してその人を薦めます。しかし、一つ条件があります。つまり、死者と楊日松氏との間に何らかの因縁関係が今生または前世になければなりません。例えば、死者は前世で楊さんに布施をしたかもしれず、何らかの縁があるはずです。では夢枕に立つ回数に制限は?また、どんな状況下で夢枕に立つことができなくなるのでしょうか?
人は死んでから7日間に一度だけ夢枕に立つことができますと聖綾さんは言います。しかも一度に複数の人の夢枕に立つことができ、一つのことを伝えるのも複数のことを伝えることもできます。通常、鬼差または氏神は死者の願いを叶えてあげます。しかし、次の場合は願いを叶えてあげることはできません。それは因果関係によって、その死者が死ぬべきだった場合です。つまり、夢枕に立つことは因果応報に影響を与えてはならないのです。
また数年前に亡くなった先輩の夢を見たことがある人もいます。その場合はどうなのでしょうか?人が死んだ後、さらに審判を受けて地獄に行かなくて済む場合、冥界で過ごすべき年月が過ぎると生まれ変わることができます。この期間中、冥界にいる死者は夢枕に立つことができます。この場合、回数や期限などの制限はありません。聖綾さんは「冥界と人間世界は通じ合っています」「冥界の魂は人間世界で夢枕に立つことができるのです」「その人に能力があり、行いが良く修行ができていればこれは正常なことです」と言います。
面白いことに聖綾さんは、冥界と人間世界は対応しているだけでなく、人間世界にあるものは冥界にもあると言います。ですので、夢の中でなく他の形でこの世の親族と交流することができるのです。冥界にいる者はこの世に電話をすることもできます。ただし、これらのことは全て死者自身の「徳」をもって交換しなければなりません。「人間世界で言う『折寿』は冥界では『折福』と言います」「冥界では何でも福で交換するのです」
「より良い行いをし、より多くの功徳を積んでいれば」「自身の徳でやりたいことや欲しいものに交換することができます」「ですから、善いことをするのはとても大事なのです」と聖綾さんは言います。
借りがあれば必ず返さなければなりません。ほんの僅かなごまかしも効かないのです。金銭においても人情においても、普段から人に借りを決して作らないことです。欲張って小さな得をしたとしても、最終的にはそれを返さなければなりません。他人が自分に対して借りを作るのは構いませんと聖綾さんは感慨深げに言いました。