中共肺炎の発生地、武漢では、数年前から多くの若者が失踪しています。その数は数百人に上り、家族が何年も探し回っても遺体すら見つかっていません。警察に助けを求めても捜査してもらえず、事件は依然としてベールに包まれたままです。
彼らは全員、この数年間で行方不明になった武漢の学生たちです。この統計名簿は、失踪した子供の家族から提供されたもので、近年武漢で失踪した一部青年の氏名、年齢、学校名、失踪した場所、日時などが記されています。
失踪青年林飛陽の父親 林少卿さん
「行方不明者の数は年々増加している。インターネットで検索したところ、武漢では18歳から20歳までの失踪者数は500〜600人にも上ることが分かった」
この500~600人の中の一人が、林少卿(りん・しょうきょう)さんの息子の林飛陽(りん・ひよう)さんです。2015年11月26日、モスクワ大学に留学中だった飛陽さんは、誰にも知らせることなく飛行機で突然帰国し、自宅のある河南省洛陽市にも立ち寄らず、何の縁もない武漢に向かった後に失踪しました。
失踪青年林飛陽の父親 林少卿さん
「その後、監視カメラの映像を確認したところ、息子は常青路を進んで中央党校に入ると服を着替え、それから乗換駅に向かった。車両がとても多かったため、それ以降は監視カメラでも探し出せなかった」
林少卿さんは武漢を探し回り、人々の関心を高めるため、警察の報奨金付きのチラシを模倣して「尋ね人」のビラを作りました。
失踪青年林飛陽の父親 林少卿さん
「息子を探して走り回った結果、武漢で子供が失踪したというたくさんの家族に出会った」
程さんも子どもの帰りを待ちわびる親の一人です。華中科技大学に通っていた当時21歳の息子の程浩(てい・こう)さんは、2014年11月に武漢長江二橋付近で行方が分からなくなりました。
失踪青年程浩の父親 程波さん
「一人っ子の息子を探し回った。子どものために泣き続けて、今は何を見てもぼんやりとしている。その日暮らしをしている。多くの家庭で、気が狂ってしまった親もいれば、もう亡くなった人もいる。国は何もしてくれない。武漢市政府に何度も足を運んだが、その門をくぐることもできない。入れたとしても殴られる。なめた苦労は言葉では言い表わせないほどだ」
家族らは子どもを探す中で、苛立ちと苦痛を感じながら、政府が何もしてくれないという二重の打撃にも耐えていました。
失踪青年林飛陽の父親 林少卿さん
「当時、息子の携帯電話はまだ通じていたが、誰も出なかった。それで私は公安に、監視技術でこの番号がどこにいるか調べてほしいと頼んだが、公安は行方不明だけでは捜査できないので、携帯電話の所在地を調べることもできないと言った。それで大切な機会を失ってしまった」
過去数年間に武漢で失踪した数百人の若者のうち、3人の遺体が発見されていますが、公安は自殺と発表しています。一方、家族らはインターネットを通じて子どもたちに関する情報提供を求めましたが、すぐに削除されてしまいました。
失踪青年程浩の父親 程波さん
「国が捜索してくれれば、私たちの心も少しは楽になる。正直なところ、我々は共産党や公安を見るたびに憎しみを感じている。私は彼らを全く尊敬できない。彼らはなすべきことをしていない」
林少卿さんは、息子が失踪前になぜ党校に行って服を着替える必要があったのか、今も理解できないと語っています。また、中国の先進的な監視システムで、なぜ子供の行方が分からないのかという点についても、内外からの関心が高まっています。