前漢初期、現在の河南省温県に許負という女性の人相学者がいました。今でも伝えられている彼女の予言。中にはとても不思議な予言もあります。楚漢戦争、劉邦が漢を建国する前の時代に、許負は早くも魏王の側室・薄姫が天子を授かると予言しました。
「史記」によると、秦朝の末期、各地では諸侯が反乱を起こしていました。魏王に立てられた魏豹は、劉邦と手を組み、項羽に対抗していましたが、後に劉邦を裏切りました。その理由は、魏豹の依頼を受けて許負は薄姫の人相を見たからでした。許負はこの側室が天子を授かると予言したのです。それを知った魏豹は喜びました。漢から離反して楚に味方しました。
のち、魏豹は劉邦が差し向けた曹参と韓信に捕まえられました。隠れていた薄姫は劉邦の大奥に入れられました。腹部にやどる龍がいると薄姫の夢を知った劉邦は吉兆であると、薄姫のもとに通いました。薄姫が産んだ男の子は、漢時代5番目の皇帝、つまり、漢文帝になりました。薄姫が天子を授かると予言した許負は、漢高祖に「鳴雌侯」を授与されました。「史記」には、許負にまつわるもう一つの記載があります。
漢初期の名将軍で劉邦に付き従っていた周勃は、呂氏の乱が平定された後、漢文帝・劉恆を擁立して右丞相まで上り詰めました。周勃には周亜夫という息子がおり、彼は呉楚七国の乱を平定した功績の持ち主でした。周亜夫がまだ河内郡守だった頃、許負は彼の人相を見てこう言いました。
「3年後に諸侯に封じられます。その後の8年間は将軍、宰相になり、一国の大権を握り、尊貴な身分となり天下無双となります。そしてその9年後、あなたは餓死するでしょう」
周亜夫は笑いながら言いました。「私の兄はすでに父の爵位を継承したし、兄の後には彼の息子が位を継ぐことになる。私がなるはずはないのでは?もし本当にそなたが言うほど高貴であれば、餓死することもないだろう。どういうことなのか教えてもらいたい」。許負は彼の口元を指さしながら言いました「口の辺りにかけて顔に直線がありますが、これは餓死する人相なのです」
3年後、周亜夫は諸侯に封じられました。周亜夫の兄は父親の爵位を継承しましたが、殺人の罪で処刑されました。周亜夫は大勢に推薦され條侯に封じられました。のちに呉楚七国の乱が発生し、周亜夫は中尉から太尉に昇進しました。漢の初期では最高軍事長官が太尉で、丞相、御史丈夫と並び「三公」と呼ばれていました。
乱を平定した周亜夫は宰相になりました。しかし、最高の官位に就いた周亜夫は廃太子問題で景帝と衝突し、また陰口を叩かれ、皇帝に疎まれ遠ざけられました。さらに息子が秘密に兵器を購入したことで連座させられ、周亜夫は反乱を企んだ罪で投獄されました。牢獄で自殺を図ろうとたが、夫人に止められました。周亜夫は絶食して5日後に吐血して死にました。
許負の予言は的中したのです。