【歴史人物】竇燕山と出世した5人の子ども

竇燕山(とうえんざん)
義方(ぎほう)有り
五子(ごし)を教え
名倶(とも)に揚(あ)ぐ

三字経』に記載された誰でも暗唱できる名句です。この竇燕山はどんな人物でしょうか?竇燕山は中国五代の時代に范陽に生まれ、30歳過ぎても子どもがおりませんでしたが善行を積み、ようやく5人の男の子に恵まれ5人は科挙に合格し大いに名を挙げました。実は、竇燕山は祖父と父親からお告げの夢を見たのです。
「息子よ、行いを改めなければ、子孫がいないだけではなく、自分も短命になるのだ」

それから、彼はお金を拾っても持ち主に返したりし、多くの善行をしました。葬式もあげられない貧困な親戚のために費用を出し、節約して貯めたお金で学校を作り、貧乏な学生を無料で受け入れたりしました。彼の教え子にはたくさんの優秀な人材がおり、多くの友人や賢人が彼を頼り生活を維持していました。

さらに、彼はをもって怨みに報いる大きな心を持っていました。竇家には金を盗んだ使用人がいました。見つけられることを心配した使用人は、「娘を売る、それで借金を返す」と書き置きを残し逃げました。それを見つけた竇燕山は悲しくなって、書き置きを燃やし、女児を育てることにしました。彼女が大人になり、竇燕山は良い相手を選び、嫁がせました。金を盗んだ使用人はこのことを知り、罪を償いに戻りました。竇燕山は彼の過去を追究しませんでした。使用人は竇燕山の肖像を描き、朝晩拝むようにしました。

その10年後、竇燕山はまたも祖父と父親の夢を見ました。二人は彼にこう告げました。

「お前は30歳までに子も無く短命の運命だったが、ここ数年気運が上昇した。お前は徳を積んだため、寿命は36年伸び、5人の高貴な子供に恵まれ、福寿に満ちた人生になる。最終的には道家の真人になるのだ」

竇燕山は82歳の時、入浴して着替えた後、親族と談笑する中で世を去りました。5人の息子に8人の孫は共に出世し朝廷に仕えました。息子全員「進士」に合格し、当時は「竇氏五龍」と称されました。竇儀は最も皇帝に気に入られ、工部尚書にまで務めました。竇偁も副宰相に相当する参知政事に昇進しました。

『宋史』評論には世の人々は竇氏の息子たちが高官になったのは、教育のお陰ではあるが、本当は積んだ徳の報いだと考えていると記されています。

 
関連記事