米国政府がヒューストンの中共総領事館の閉鎖を命じてから、中共も報復措置で四川省成都の米国総領事館の閉鎖を要求しました。成都の米国総領事館は米国の中国西南部における重要な戦略的ポイントであり、2012年には重慶市公安局の局長だった王立軍が駆け込み、中国共産党上層部に激震を引き起こしました。
米当局がヒューストンの中共総領事館の閉鎖を命じてから、24日、中共外交部も対抗措置として成都の米総領事館に対し、全ての業務を停止し、閉鎖するよう要求しました。その後、大量の武装警察を派遣し、周辺道路を封鎖し、領事館に進駐しました。さらに中央テレビは珍しく現場中継まで行いました。
成都の米国総領事館は1985年に設置され、1993年に現住所に移転しました。業務範囲は中国の四川省、重慶市、雲南省、貴州省、チベット自治区をカバーしており、戦略的に非常に重要とされています。成都の米国領事館をめぐる最も有名な事件は、2012年2月6日の王立軍事件。当時、薄熙来が重慶市のトップを務めていましたが、重慶市公安局の局長だった王立軍が薄熙来との関係が決裂すると、命の危険を感じ、成都の米国総領事館に駆け込み、亡命を求めました。その後薄熙来の不正蓄財などが暴かれ、最終的に失脚しました。
米国は現在、成都の他に、広東省広州市、上海、瀋陽、湖北省武漢市に総領事館を設置しています。外界は当初、中共当局の報復措置で閉鎖されるのは武漢の総領事館だろうと推測していましたが、2月に中共ウイルスが発生してから、米国は武漢の領事館職員を帰国させていました。
台湾経済学者 吴嘉隆氏
「米国人がまだ(武漢に)戻っていないため、領事館は営業していない。だから閉鎖と言っても象徴的な報復になる。米国もヒューストンの中共領事館を閉鎖して、挑戦したにせよ辱めたにせよ、中共が必ず報復することは米国もわかっている。米国も次のステップを用意している。互いに閉鎖ごっこを続けると、最終的に大使館だけが残り、或いはニューヨークと上海の大使館だけ残される可能性もある。つまり、断交の準備作業をしていると同じことだ」
ニューヨークタイムズは、北京政府の成都の総領事館閉鎖命令は「米国の新疆とチベットの情報収集のための最も有力な外交前哨を奪ったことに等しい」と分析しています。
閉鎖期限を27日に迎え、成都の米国総領事館では26日に書類などが運び出されました。
成都の米総領事館のウェブサイトによると、同領事館の職員200人のうち、150人が中国人です。ネット上では、「閉鎖によって、結局中国人の失業者が増えただけだ」「領事館の外にできていた長蛇の列。閉鎖によって中国人の米国ビザ取得がさらに困難になっただけだ」との声も聞かれています。