一日に4件もの心臓移植手術が行われた例や、患者一人に対し10日間で4つの心臓が提供された例など、にわかには信じがたい臓器供給ルートが確保されている中国の臓器移植現場の状況に、内外から疑問の声が上がっています。
「国内初!協和医院で一日に4件の心臓移植手術が行われました」
中国メディアの「楚天都市報」が昨年、8月6日のわずか14時間の間に、武漢協和医院で脳死患者をドナーとする4件もの心臓移植手術が行われたと報じました。
これは中国初であるだけでなく、世界的にもまれにみるケースです。また「長江日報」は今年3月18日、武漢協和医院で100例目の子どもの心臓移植手術が行われ、手術件数全国一位を維持していると報じました。患者である7歳の凡凡(ファンファン)君は、入院から一週間経たずに心臓の提供を受けました。驚くべき記録はこれだけではありません。昨年6月にはこの病院で、女性患者一人のために10日間で4つの心臓が用意されました。
台湾国際臓器移植思いやり協会の副理事長、黄士維氏
「金さえあれば、彼らはあなたに心臓を提供する。しかしその心臓はいったいどこから来るのだろうか」
中共は2015年1月、死刑囚からの臓器摘出を停止すると発表したため、今は自発的な臓器提供だけが、中共が自認する唯一の臓器提供源となっています。しかし、中国で自らドナー登録をする人は極めてまれです。
ドナーが減ったことで移植手術件数が減るはずですが、武漢協和医院では逆に増加しています。2015年と2016年のこの病院の心臓移植手術件数は2年連続で100例を超え、全国一位を維持しています。平均するとこの病院では三日で一回臓器移植手術が行われていることになります。
しかし、「湖北日報」が今年4月に報じたところによると、武漢の臓器提供者数が大幅に減っており、毎年1600人の提供者が必要とされているのに対し、実際提供される遺体の数は200体程度です。
米国在住の医学博士、李祥春氏は、2017年の米国のドナー登録者数は約1億3000万人で、2018年のデータによると、患者は通常、適合する心臓が見つかるまでに6か月から9か月待機する必要があると述べています。
中国最大のドナー登録サイト「施予受(ラブ&ホープ)」では、2018年5月初めの時点で登録者数がわずか30万人にとどまっているため、2017年にこの人数を上回っていることはあり得ません。しかし中共は2017年の死亡者の中から5148件の臓器提供が行われたと発表しました。李祥春さんは、それは不可能だと考えています。30万人の登録者のすべてがすぐに死亡したわけではなく、死亡率の問題があるからです。
米国在住の医学博士、李祥春氏
「2018年の中国大陸の平均死亡率は7.13‰で、そのうち臓器移植手術に適合するものは1%から2%だ。なぜなら、一般的な疾病による死亡の場合、その人の臓器はたいてい臓器移植には適さないからだ。このように計算すると、1年間の死亡者の中で臓器提供が可能な人数は40人に満たないかもしれない。ということは、2017年の臓器提供者のほとんどは、自発的な提供者以外の人だということになる」
李祥春氏は、このことで中共のいう臓器提供の話は全てでたらめだということが分かると指摘しています。
李祥春氏
「よって、(武漢協和医院)が4個(の心臓)は自発的な臓器提供によるものだという話は、基本的には可能性はない」
臓器不足を解消するため、脳死患者からの臓器提供が重要な供給源となっています。脳死患者の心臓の保護は、武漢協和医院によって技術的ブレイクスルーに挙げられています。しかし海外の調査によって、中共軍と医師が人為的に「脳死患者」を用意して臓器を摘出していることが分かりました。武漢協和医院とその臓器移植センター主任の董念国(とう・ねんこく)も、人権団体「追査国際」の臓器移植関係者リストに名前が挙げられています。何年も前からこの病院で行われてきた数百例もの心臓移植手術のほとんどが、董念国自ら執刀してきたものです。
黄士維氏
「中国の場合、いくつかの前提がある。まず、彼らの臓器移植システムが国民に完全にオープンにされてはいないこと。二つ目は、彼らにとって臓器移植とは大きな利益を生む産業であること。三つ目は、彼らは人権を侵害していること。ということは、中国大陸の臓器移植にはやはり非常に問題がある。法輪功学習者にせよ新疆の一部の反体制派にせよ、人権を侵害され、臓器を奪われている。私は現時点で大部分のことがまだ存在していると信じている」
中国国家心臓移植品質管理センターの黄潔(こう・けつ)氏は2019年末に「まだ臓器提供者は十分にいる。多くの患者は速やかに評価されていないため、臓器提供者が無駄になっている」このことは、中国の心臓移植業界が「臓器が移植患者を待つ」という異常な状態にあることを示しています。
心臓は一人に一つしかありません。あるひとが「生きたい」と思うことは、別な人が「死ななければならない」ということを意味します。患者にとっては「命を救う心臓」であっても、臓器提供者にとっては「命を奪う心臓」にほかならないのです。