中共政府は7月20日に発生した鄭州地下鉄没事故で14人が死亡したと発表しましたが、現地住民をはじめとする多くの人がこの数字に疑問を抱いています。ある生存者が地下鉄水没事故の真実を明かしました。
鄭州地下鉄5号線の生存者
「私の妹はたった一人の生存者だ」
7月20日に河南省で水害が発生してから一週間後、多数の市民が鄭州地下鉄5号線沙口路駅の出口で献花を行うなか、生き残った姉妹が、地下鉄に閉じ込められた間に体験した恐ろしい時間を嗚咽しながら語りました。
鄭州地下鉄5号線の生存者
「私たちは最後尾の車両にいた」
姉は、最後尾の車両から救出されたのは妹だけで、他の乗客はすべて死亡したと話しました。
鄭州地下鉄5号線の生存者
「思い出すのもつらい。彼らは全員溺死してしまった。前の方の車両の人たちのように幸運ではなかった。私たちは最初から最後尾の車両にいて、妹は最後尾の車両から救出された。私は水が首のあたりまできたときに、前の車両まで泳いで生き延びることができた」
姉が「思い出すのもつらいこと」を思い出していると、その横である男性が突然、撮影していた人に対し「あなたはどこの記者か?外国メディアなのか?そうなのか?外国メディアは来るな。(外国メディアに事件を)歪曲させるな」と詰問しました。
この男性が言い終えると、妹は姉にそこから立ち去るよう促し、姉はカメラを見るとそれ以上しゃべらず、妹と一緒に立ち去りました。
先日、地下鉄5号線のもう一人の生き残りで15歳の少女も、地下鉄に閉じ込められた「生死をかけた経験」について回想しています。
鄭州地下鉄5号線の生存者の少女
「地下鉄は密閉されていたから、空気が入ってくるところはなかった。外の空気は入って来ず、車内の空気は基本的には呼吸されつくしていたから、胸全体に痛みを感じていた。今回の事故では多くの人が死んだ。十数人が死んだ。すべて一人一人この目で見た。私はある人の身体を前に押しやった。私の父は何度もショックを起こし、意識が朦朧として話すこともできず、全身震えていた。あれが恐らく私にとって最も恐ろしいときだった」
これまでに中共メディアは、7月20日の地下鉄5号線の水害事故によって、14人が死亡したと発表していますが、あるネットユーザーがインターネットに公開した地下鉄5号線が浸水する前の画像は、人で込み合っている駅構内を撮影したものだったため、当局の言う人数に疑問を抱く人が増えています。
鄭州地下鉄5号線の車内への浸水と、京広路トンネルへの水の流入によって多くの車両や乗客が閉じ込められたことは、7月20日の河南省水害事件で起きた二つの重大事故に数えられます。米国在住の政治評論家の胡平(こ・へい)氏は、この二つの事故はどちらも完全に回避できたはずだったと指摘しています。
米国在住の評論家、胡平氏
「例えば地下鉄5号線。当時、一部の地下鉄路線はすでに運行を停止していたが、5号線は運行を続けていた。また、あの日の午後6時から9時過ぎまで車内に水が流れ込んで、途中の約2時間の間に閉じ込められた人たちが外部に救援信号を発信し続けていた。もしレスキュー隊が2時間、せめて1時間半前倒しで到着してくれていたら死なずに済んだ人もいただろう。また、京広路トンネルは『スマートトンネル』と呼ばれており、トンネル内の排水システムを監視するために監視カメラ数百台が設置されている。トンネル内部で何が起きたかを、関連部部門は十分に把握している。関連部門が1~2時間早くトンネルを封鎖していたらこの災害は免れたはずだ」