中国の人権活動家が、懲役12年の判決を言い渡されました。90歳間近の母親は、体調を崩しており、一人息子との面会を何度も求めましたが、ことごとく断られました。「生きているうちに一目息子に会いたい」と話しています。
「黃琦、私の息子よ、母はあなたが無実であると信じている」これは、中国の人権活動家黃琦さんの母親の、息子に向けたメッセージです。
黃琦さんは中国での人権侵害を暴露する記事を書いたため、2016年11月28日、当局によって投獄され、後に12年の判決を言い渡されました。すでに3度目の投獄であり、刑務所では拷問などの虐待を受けています。
人権活動家黃琦さんの母親 蒲文清さん
「(息子について)何の情報も得られない。とにかく、息子に会う許可が下りないのだ。(四川省)内江公安局に巴中刑務所へ行かせてほしいとお願いしたが、許可してもらえなかった。それに、黃琦が雇った弁護士(藺其磊氏)は、弁護士資格を剥奪されてしまった」
黄琦さんの母親、蒲文清(ほ・ぶんせい)さんは、もうすぐ90歳になります。息子との面会を要請しても、コンピュータシステムのアップデート中や故障中などと言われ、面会を許可されなかったそうです。また、電話での会話をお願いしても、それも断られたといいます。
黄琦さんが逮捕された後、蒲さんは釈放を訴え続けており、陳情のために上京したこともあります。2019年以降は、地元当局によって軟禁下に置かれ、訪問者を禁止されているだけでなく、暴力的に扱われたこともあります。
人権活動家黃琦さんの母親 蒲文清さん
「あの日々は、私はどこにも助けを求めることができなかったし、誰も敢えて私と口をきこうとしなかった。とても耐えられなかった。外出するときは、必ず監視役が付いてくる。バスの中にまでついてくる」
蒲文清さんは、心不全と診断されたうえ、肺癌末期と宣告されました。痛みが激しく鎮痛剤で凌いでおり、食べることもよく眠ることもできないといいます。
人権活動家黃琦さんの母親 蒲文清さん
「最近、医者にかかっている。今は心臓がよくない。心不全なので、今年の冬を超えるのは厳しいと思う。死ぬ前に黄琦に会いたいのだ」
蒲さんはまた、11月5日に地元政府によって設けられた3つの制限について明かしました。
人権活動家黃琦さんの母親 蒲文清さん
「一つ目は、(陳情のために)北京に行ってはならない。二つ目は、メディアの取材を受けてはならない。三つ目は、人権派弁護士を雇ってはならないということだ」
黄琦さんは、「6月4日」にちなんで名付けられた中国の人権ニュースサイト「六四天網」の創設者です。この日付は、1989年の学生運動の際に、北京の天安門広場で起きた大虐殺を暗に示しています。このサイトは、天安門事件の犠牲者や、中国で黙殺された他の団体のために声を上げています。
黄琦さんの弁護を引き受けた3人の弁護士(隋木青氏、劉正青氏、林奇麗氏)は、黄琦さんを弁護した後、全員弁護士免許を取り消されてしまいました。
天安門広場での大虐殺から、30年以上が経過しました。この問題に対する中共政権の公式見解に変化はあるのでしょうか。11月16日に発表された中国共産党の重要会議「6中全会」の決議は、彼らの考えに変化がないことを示しています。その内容は次の通りです。
「1980年代後半から1990年代初めにかけて、ソ連が崩壊し、東欧が劇変した。海外の反共産主義・反社会主義の敵対勢力の支援と扇動により、1989年の春から夏への変わり目に、我が国では深刻な政治的混乱が起きた。 党と政府は、人民に依拠して、旗幟(きし)鮮明に動乱に反対し、社会主義の国家政権と人民の根本的な利益を守り抜いた」