チベット人、ウィグル人、モンゴル人を含む中国における民族弾圧について詳しく知りたいという視聴者の要望にお応えしたいと思います。
中国共産党は1949年に政権を取ると、各民族を含む全ての中国人を抑圧し始めました。
中国では、漢民族が人口の94%を占めています。残りの6%は、50以上の民族で構成されています。
1950年代から70年代にかけて、中国共産党は一連の政治運動を繰り広げました。調査によるとこれらの運動により8千万人が死亡しました。多くの人が処刑されたり、または、1959年から1961年にかけての大飢饉で命を落としました。
8千万人という死者数は、二つの世界大戦の死者の合計をも超えています。
その犠牲者のほとんどは漢民族です。しかし、他の民族は激しく抵抗したため、より大きな苦難を強いられたと言われています。
公式発表によると、1960年代、チベットの一部地域では、若年・中年層の男女比率が1対7まで広がり、場合によってはそれ以下という地域もありました。
それは、中共政権が行なった大量逮捕と殺戮の結果でした。
同時に、中共は「移動運動」を推し進め、漢民族を他の民族が中心の地域に移動させました。その地域に住んでいた民族を少数民族に変えるのです。
また、中共政権はそれらの民族に対し、母語の使用や宗教信仰の実践も制限しました。これはその民族の文化的アイデンティティを消し去ることを目的としており、今も続いています。
漢民族も同じような問題に見舞われました。
中国古来の文化は仏教、道教、儒教に深く根ざしています。それは仁義礼智信といった普遍的な価値観に基づいています。しかし、中共はこれらを嘘、隠蔽、暴力にまみれた共産主義文化に置き換えました。また、共産主義は本質的に無神論であり、神の代わりに共産主義指導者を崇拝するよう人々を誘導します。
この意味で、この対立は漢民族と他の少数民族の間の対立ではなく、民族のルーツに関係なく、共産主義政権と全ての中国人との間の対立として見ることができます。しかし、中共は、その目標を達成するために漢民族を利用し、他の民族を抑圧してきました。