神韻のダンサーは舞台で、中国本土の感動的な物語を描いた。法輪大法を実践する若い夫婦に、初めての赤ちゃんが生まれたのだ。しかし、まもなく夫婦は中国政府に誘拐されて拷問を受け、赤ちゃんは孤児になってしまう。
オーケストラのピットに座っていた梁玉(リャン・ユー)さんは、そのダンスが始まると寒気がした。「私自身、同じような経験をしましたから」と梁さん。「私の目の前で、母が逮捕されたのです」
法輪大法は法輪功とも呼ばれ、心身を健康にする伝統的な修煉法。真・善・忍の原則と5つの緩慢な功法(エクササイズ)を教える。1990年代初めに口コミで急速に広まり、10年足らずで中国の学習者は7000万人から1億人に上ると推定された。しかし中国共産党(以下、中共)は1999年7月以来、この修煉法を迫害している。一夜にして法輪功の学習者は検挙され、拘束され、強制労働収容所や再教育センターに送られ、拷問を受け、多くが亡くなった。
信仰を理由に迫害
「はっきりと覚えています」と梁さん。1999年の秋、彼女は母親と近所の女性と一緒に地元の公園に行き、法輪大法の功法をしていた。
「車やバンが何台も近づいてきて、地元警察が私たちに群がってくるのが見えたんです。怖かった。母の肘を引っ張って『お母さん、逮捕されてしまうよ!』と言ったんです。すべて、私の目の前で起こりました。その人たちがどんどん近づいてきて、みんな引きずり出されてしまったのです」
梁さんはまだ幼かったため、逮捕は免れた。結局、梁さんの母親は釈放さたが、その後2年間で4回、法輪功への信仰のために投獄された。娘の未来を想う母親は、中国の琵琶奏者として研鑽するリャンさんを励まし続けた。そしてどこかの芸術団に応募しようと探していたところ、ちょうど米国の芸術団である神韻が、中国の伝統楽器の名手を必要としていた。
梁さんが北京に留学していたとき、母親から神韻に合格したとの連絡があった。そして空港まで見送りに来てくれた両親を見た梁さんは、もうしばらく会えないと思った。言葉はほとんど交わさなかったものの、その最後の表情と涙に、多くが込められていた。「その一歩で、別世界に飛び込んでしまうような気がしました。神韻の作品には法輪功への迫害をはっきり描いたものがあるので、その一歩を踏み出すのはとても大変でした」と梁さんは振り返る。と言うのも、神韻は中共による迫害の実態を伝えているが、それは彼女の家族危険にさらすことにもなるのだ。
「中共には、人々を恐怖に陥れ、生活を困難にする手段がいくらでもあるのです。両親の安否がとても心配でした。迫害が終わって私が帰らなければ、もう会えないかもしれないと思いました」
そんな時、梁さんは中国の伝統文化の教訓を得た。「歴史上の偉人の多くが、何かをやろうとするとき、成功するか失敗するかを考えませんでした。道徳的な視点で考えていたのです。道徳的に正当であれば、実行しました。良心や道徳に反することであれば、たとえメリットが多くてもやらないのです。中共による迫害を考えるとき、いつもこのことを思いだしていました」
そして、中国での苦難の経験は、梁さんの芸術に対する理解や音楽を解釈する力を深めることとなった。
アーティストとしての成熟
梁さんが奏者になったきっかけは、母親だった。ある日、母親が幼い梁さんを楽器店に連れて行き、「好きなものを選びなさい」と言ったのだ。梁さんは目を閉じてぐるぐる回り、立ち止まって目の前にある楽器を指差した。梨のような形をしていたそれを見て、「母に『これ!』と言いました。もしこれを習わせてくれないなら、もう習わないって」
中学時代には全国大会で入賞し、高校や大学でも連戦連勝だった。当時の梁さんにとっての音楽は、今日の多くの若いアーティストと同様に、コンクールを中心としたスポーツのようなものだった。速さや力強さ、難易度を競ったのだ。しかし神韻に加わると、彼女の見方は徐々に変わった。
「素晴らしい芸術や音楽は、そうした基準だけで判断されるべきではありません。高くない山でも神々が住めば有名になります。水深が深くなくても、龍が住んでいれば魂が宿ります。表面的な技術ではなく、心からの内なるものが感動を生むのです」
(大紀元エポックタイムズより転載)