李洪志大師の文章、保守言論団体代表「道徳論の集大成ではないだろうか」

法輪大法の創始者である李洪志氏が20日(日本語訳は22日)に「なぜ人類はいるのか」と題した文章を大紀元に発表した。保守言論団体代表である川井正彦氏は、説かれた話は西洋哲学等と一線を画す「道徳の集大成ではないだろうか」と述べた。

この度の李洪志大師による新年の文章「なぜ人類はいるのか」について感想を述べさせていただきます。

法輪功は、真・善・忍の考えを中心とした中華独特の存在であり、宗教的とも捉えられがちだが、信仰心を唱えていることとは異なると承る。

また、思想や哲学というような人為的につくられた道理、道徳を理論的に体系化したものとも一線を画す存在であるように思える。

すなわち、天という存在を認めながら、人の心理について理論構成がなされており、宗教的な信仰心から派生する道徳観などのような完全なる抽象論ではなく、一定の形式を持った理論であると考える。

また、思想や哲学というような論理性を重視し、客観的根拠を源とする西洋哲学とはまったく異なるもので、中華を中心とした東洋哲学、もしくは思想のような形而上学的存在を否定しない道理、道徳論の集大成であることを語られているのではないだろうか。

中華は5000年余りの歴史を持ち、当初は神々の存在を認め、王道楽土を目指し、人はそれぞれの分に応じた役割によって国という社会が成り立つと考えていたように私は受け止めている。

中華は壮大な歴史観と壮大な宇宙観にも繋がる天という存在を信じ、思想、哲学が構成され、他国の文化と交わり、中華独特の永々とした思考が形成されていった。

しかし、100年程前に中華は西洋の政治思想や経済論が蔓延るようになり、孫文を主体とした新しい社会体系を目指したが、時を同じくして現れたマルクス主義者により中国共産党が設立され、あろうことか1949年に中華人民共和国という共産党国家が成立するに至った。

これが中華に脈々と続いた思考をすべて破壊し、共産主義というまやかしの科学的論理を植え付けられ、その結果として人倫などというものが失われ、道理、道徳などを完全に否定し、人というものを社会的システムの歯車と置き換え、中華という概念すらも失わせかねない状況があったと言える。

しかし、中華の思考は、中華の人々の魂であり、それは静かに受け継がれている。

そのことが逆説的ではあるが、毛沢東という絶対的支配者を生み出す結果となった。

それから70年余り共産党支配がなされ、ひとつの帝国が続けられようとしている。

そのような状況下において、李洪志大師は、本来、中華の人々が持つ思考である道理、道徳を、宗教は哲学、思想に寄ることなく、人の健全や輪廻という概念をもって復活を目指したのではないかと私は考える。

すなわち、中華本来の姿に戻るべきであり、中華というものは絶対王権でありながら、必ずしも王権や国家というものを信じるものではなく、人そのものに由来する一族や一門という家というものを重視したのではないか。

その点においては、日本と中華では、異なる忠孝の考え方があると受け止める。

多少の相違はあるものの、主体として同様の点が多く含まれ、それが中華と日本を繋ぐことに繋がっていることは否めない。

よって、人の道、人のあり方、人の主体を思考の中心とし、人の健全を目指した法輪功が、全世界に広まったことは言うまでもなく必然であったと言える。
そのような存在を絶対的権力者が見過ごすはずはなく、懸念材料であり、危険と断定し、排除することもまた必然であると言える。

その点を指摘した李洪志大師のこの度の言葉は、非常に明快であり、思考を巡らせればこの事実が如何なるものかは多くの人々に理解されるものではないかと、強く感じた。

1962年福岡市生まれ。小学校から大学までフィギュアスケートに勤しむ。現役引退後は福岡県スケート連盟役員、日本スケート連盟役員を歴任し、国民体育大会の監督や選手強化に携わる。現在、一般社団法人社会問題研究会代表理事。
(大紀元エポックタイムズより転載)
 
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