元裁判官が明かす中共の裁判の実態

浙江省温州市中級法院の元裁判官である鍾錦化氏は、15年前に公職を辞し、弁護士になりました。裁判官として、自分が社会正義の擁護者なのか、それとも法律を装った「合法的殺人者」なのか、わからなくなったといいます。

長年にわたる猛勉強と努力の末、鍾錦化氏はようやく1994年、浙江省温州市中級法院に入りました。 彼はまず刑事裁判第一部で3年以上事務員として働き、刑事裁判長を5年以上務めた後、裁判監督部に移り、裁判長を5年務めました。

しかし、鐘氏は、将来が約束されていた時期に公職を辞したのです。このことは、周囲の人たちには理解しがたいことでした。

元浙江省温州市中級法院裁判官の鍾錦化氏
「私は昇進できる時期に、自ら職を辞しました。昇進を控えている時期でしたので、多くの人に理由を尋ねられました。私の父親は、私が何か過ちを犯したから解雇されたのではないかと、法院に聞きに行ったそうです」

温州市中級法院での14年間は、ほぼ毎日、死刑囚と接し、月に一度は血なまぐさい死刑執行の現場に立ち会わなければなりません。このことが鐘氏にとって耐えがたいことでした。

鍾錦化氏
「あるとき、中国で酷い弾圧が行われ、ここ温州で26人を一度に処刑することになりました。 私は長年裁判長を務め、いろいろな場面を見てきましたが、26人が同時に射殺されたのは衝撃的でした。処刑場に26人が跪き、たくさんの武装警官が警備しているなか、処刑人がただひたすら生身の人間を射殺していくのです。非常に残酷で、恐ろしい光景でした」

中国は、世界で最も死刑制度が普及している国の一つです。 近年、中国共産党(中共)による刑罰手段としての死刑の悪用は、国際的に多くの論争を巻き起こしています。

以前は、死刑は悪人を罰するもの、正義を守るものだと考えていた鍾錦化氏でしたが、時が経つにつれ、さまざまな残酷な光景が彼の心を揺さぶるようになりました。

鐘氏が最もショックを受けたのは、温州の「雪山処刑場」で、銃殺されたばかりの死刑囚から、医師が臓器を取り出している光景を目撃したことです。 誰がこれを仕切ったのか? そして、誰がそれを許可したのか? 彼は混乱しました。

その後、裁判監督部の裁判長を5年間務めた鐘氏は、毎日陳情者たちと接し、あまりにも多くの人々の不満や諦めるしかない現実を目の当たりにし、深い無力感を覚えました。

鍾錦化氏
「多くのケースは、すでに有罪判決が出ており、それを覆すのは非常に困難です。よほど間違っている場合は別ですが、ほとんどの場合、判決を維持するしかないのです。誰かが判決を覆したら、その人は報復、あるいは処罰されるのです!」

鐘氏の理想は裁判長の職に長くいればいるほど、幻滅していきました。

裁判系統内では、後ろ盾がなければ、たとえどんなに有能でも、何の意味もないといいます。

鍾錦化氏
「昇進の順番が回ってきたとき、たとえ試験で1位を取っても、強い後ろ盾がないために、8位や9位の者が昇進することも普通なのです。だから、不公平だと感じます。また、このような機関で裁判官を務めることは、言論に対する規制が非常に強く、自由に発言することも許されないのです」

鍾錦化氏は、司法権の独立、人権の自由と主体性、制度の保障がない裁判官は、単なる道具に過ぎないと考えています。

2008年7月、鐘氏は正式に裁判所から離れ、上海で弁護士として働くことになりました。 今、振り返ると、すべての社会的不公平は、中共の独裁体制と権力擁護に起因しているといえます。

鍾錦化氏
「彼らは、例えば社会秩序を乱していると思う人を簡単に死刑にすることができます。彼らが毎年死刑判決を下している人数は、全世界の90%以上を占めています。これは独裁体制のもつ邪悪さです」

2015年、鐘氏は党を辞めることを公言し、市民の陳情を代弁したため迫害され、中国を脱出し、家族とともに渡米することを余儀なくされました。

 
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