中国青年 「白紙革命」参加で迫害

中国出身の青年・張俊傑さんが、「白紙革命」に参加したことにより、中国共産党(中共)警察から精神病院に送られるなど、度重なる迫害を受けています。現在は、中国から脱出し、ニュージーランドで生活しています。22日、張さんは新唐人の取材に対し、受けた迫害についてやこれまで歩んできた過程を語りました。

江蘇省南通市に住んでいた当時19歳の張さんは、「白紙革命」に参加した時、中央財経大学に通う1年生でした。

張俊傑さん
「去年、2022年11月27日の夜と、28日の朝8時に、大学の教育棟の前に行き、中共と習近平のゼロコロナ政策に対する白紙抗議を2回行いました。28日の8時以降、学校の教師や指導者などに連行され、教育棟の隣にあるオフィス棟の1階の会議室に連れて行かれました。そして、そこに一日中監禁されたのです」

後日、学校は張さんを強制的に自宅待機にさせようとし、両親に張さんを連れて帰るよう命じました。家に帰ると、父親は張さんの携帯電話やタブレット、ノートパソコンを没収しました。

当時、村で書記を務めていた張さんの父親は、中共に洗脳されるがままに、中共警察に協力し、張さんを騙して地元の精神病院、南通第四病院に入れました。

張俊傑さん
「そこについたら、救急室に連れて行かれました。検査をすると言って、江飛という医師がやってきました。江医師は私としばらく会話を交わして、その後、私の家族と私服警官と話をしていました。そして、私に統合失調症を発症しているから、治療が必要だと言いました」

そして、張さんは手足を縛られたまま運ばれたといいます。その間、張さんはずっと抗議し、「共産党退陣」などのスローガンを叫びながら、ずっと暴行を受けていたといいます。

張俊傑さん
「私服警官や医者は私に言いました。中共を支持しないなら病気だ、国と党を愛さないならこうなると言いました。私をベッドに縛りつけ、12月1日〜6日まで、解放されることなく、縛られていました」

その間、張さんは薬物の服用を強要され、いわゆる理学療法を行われました。ある装置を頭の上に乗せられ、それは常に振動し、一日中気持ち悪さに襲われました。同時に、多くの医療関係者から、中共を支持しないのなら、本当に精神病であると言われました。

父親は12月6日に張さんを家に連れて帰り、携帯電話を返してくれました。張さんはインターネット上で、「白紙革命」の状況をチェックし続け、海外の仲間から「花火革命」への参加を勧められました。そして、1月20日夜、南通大劇院前で花火を打ち上げ、白い紙を撒き散らし、「花火革命」に参加しました。

張俊傑さん
「しかし翌日の1月21日、4台のパトカーと20人近い警察官が突然私の家にやってきて、私を逮捕しました。そして南通市開発区事務センターに連行され、丸一日取り調べされました」

そして、騒動挑発罪として違反切符にサインさせられた後、再び精神病院に収容されました。

張俊傑さん
「私の父と祖父が来て、入院手続きを行いました。その時、父親は公衆の面前で私を殴りました。そして1月28日の午後、旧正月の1月7日になってようやく、公安の指示で解放されました」

帰宅後、張さんは父親が自分のことが原因で解雇されたことを知りました。家族は激怒し、再び公安と協力して、その日のうちに張さんを精神病院に送り返し、それも地獄のような入院病棟の7階に送り込みました。

張俊傑さん
「そこの看護師や医師は、患者全員に対して非常に粗く、横暴な態度で、少しでも不満を見せようものなら、ベッドに縛り付けられ、耳や首に針を刺され、電気ショックを与えられます。私は、耳と鼻から血が出ているるだけでなく、血が溢れそうなほど感電させられた患者を目撃しました」

ここで、張さんは毎日規定を超える量の抗精神剤オランザピンとアリピプラゾールの服用を強要され、その結果、身体的な損傷や肝臓周辺の痛み、食べたものはすぐ吐き、吐き気が続くなどの後遺症が生じ、いまだに治っていないといいます。

今回の監禁は2か月に及び、4月2日にようやく解放されました。退院後、張さんは中国から離れることを決意しました。極秘に出願し、5月末にニュージーランドのオタゴ大学に合格し、7月にビザを取得、8月に中国を脱出し、18日に無事ニュージーランドに到着しました。

現在、中共は張さんが海外で迫害を暴露しないよう、張さんの家族を脅していますが、張さんは引き下がらないと話しています。

 
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