2014年に北朝鮮を離れた韓国保守政治行動会議の李賢勝事務局長は、最近、新唐人テレビのインタビューで、新型コロナウイルスにより国境が3年間閉鎖された北朝鮮の悲劇的な状況や、大飢饉の再発、そして北朝鮮のエリートの一員であった彼が、家族全員を引き連れて逃亡した理由について話しました。彼の話を聞きましょう。
脱北者・李賢勝氏
「数カ月前、(私の知るところでは)農村の19人が餓死しました。 通常、田舎ではこのようなことは起こらないはずです。 彼らは米を栽培し、国民のための食糧を育てていました。しかし当局は彼らが育てた米をすべて取り上げ、軍隊に持ち去ったのです。 この農民たちは何度も(食糧不足を)訴えていたのですが、当局は問題を解決せず、その結果、全員が餓死したのです」
李賢勝氏によれば、彼の父親は北朝鮮の最高指導者から大手国有企業の社長に任命されたため、外国語を学び、中国に留学することができたといいます。
李賢勝氏
「わたしはかつて良い学校に通い、体制に忠実で、北朝鮮軍に3年間従軍していました。 若い指導者候補のグループにいたので、北朝鮮の若い指導者になる可能性がありました」
2013年12月、金正恩は叔父の張成沢を処刑しました。 李氏が聞いたところによると、数百人の幹部が処刑され、その家族は労働収容所に入れられたといいます。
李賢勝氏
「父の友人の多くが処刑されたり、労働キャンプに送られたりしました。 私の友人の何人かもこの不幸に遭遇しました。姉は当時中国にいましたが、そのルームメイトは姉の目の前で捕まり、北朝鮮の労働キャンプに(秘密工作員によって)連れ戻されました」
この粛清により、北朝鮮のエリートたちは皆、次は自分が処刑されるのではないかと命の危険にさらされました。そこで李氏の家族は逃げなければならないと決心したのです。
李賢勝氏
「家では逃亡の話などは一切しません。公園に行きすべての電子機器を車に残しました」
最終的に、李氏一家は米国へ逃れました。
今年6月、BBCニュースが北朝鮮の飢饉に関するドキュメンタリーを放映したとき、彼らは心を痛めました。李氏によれば、1990年代には、ほとんどの北朝鮮国民はまだ共産主義体制を信じていましたが、今では国民の心も変わり始めているといいます。
李賢勝氏
「現在、(指導者は)核兵器を持っていますが、北朝鮮の人々はいまだに飢饉に苦しんでいます。 『今と昔で何が変わったのか』と疑問を抱かずにはいられません」
透明な情報は社会を変える鍵であり、国際社会が正しい外交政策を打ち出すことも同様に重要である、と李氏は言います。彼は現在、非営利団体に勤務し、コロンビア大学で学位取得を目指しています。将来は、仲間の心の支えになるような役割を果たしたいと願っています。