「香港民主化」運動五周年、当事者が当時を振返る

5年前の2019年6月9日、香港で「反送中(香港民主化)」デモが勃発し、市民が抗議行進を行い、半年にわたって続きました。米国に亡命した民主活動家の侯成罡氏も「反送中」運動に参加し、香港市民が暴政に立ち向かい、平和と自由を求める勇姿を目撃しました。

香港のデモ参加者
「反送中、不当な法律に反対します」

2019年2月、香港政府は《逃亡犯条例》の改正を提案し、これが市民の継続的な抗議行動を引き起こしました。6月9日には約103万人がデモに参加し、続く6月16日の大規模なデモには200万人以上が集まりました。これは1997年の香港返還以降、最大の抗議行動となりました。

民主活動家の侯成罡氏
「中国共産党(中共)は、50年間変わらないとした約束を破り、反対者を逮捕して中国本土で裁判にかけました」

抗議者たちは「五大訴求」を掲げ、単一の法案への反対から、全面的な民主選挙の実現を目指す運動へと発展させました。

9月4日、当時の行政長官である林鄭月娥は《逃亡犯条例》の改正案の撤回を宣言しましたが、他の4つの要求には答えませんでした。抗議者は「五大訴求、一つも欠けてはならない」と主張し、より広範な民主化を追求し続けました。

「反送中」運動の後、香港市民は政府の激しい弾圧に直面し、約9000人が逮捕され、多数の悲劇が起こりましたが、市民は抗議をやめませんでした。2020年1月19日には、「香港共産党に罰を与え、国際的な制裁を」と訴える集会が開かれ、数万人が参加しました。

侯成罡氏
「午後5時に始まった集会では、人々がどんどん集まり、多くの通りが人で溢れかえりました。その道路は、おそらく6車線以上あり、人でぎっしりでした。その後、警察は集会を早めに終わらせるよう求め、トラブルが生じました。私はその時、大きな音を聞いたことを覚えています。それは催涙弾が発射された時の『ドン』という爆発音だったと思います」

「先ほどのは大きな音で、催涙弾のようでした」

侯成罡氏は米国から中国への帰国途中、香港で行われたその日の集会に参加していました。彼は、当時の「反送中」運動が、香港市民の自由と民主主義に対する広範な抗議活動へと発展していたと語ります。集会の日には、逮捕者が出て、特殊警察がデモ参加者を4つのグループに分けました。

上海に戻った後、警察による尋問を受けたという侯成罡氏は、やむを得ず中国を離れ、米国へ戻ることになりました。

侯成罡氏は、自身と家族が数年間米国で生活していると述べ、中共の迫害を恐れて、中国への帰国ができない状況にあると語ります。

 
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