中国共産党による法輪功に関する五大嘘(前編)

5月13日は「世界法輪大法の日」です。毎年5月になると、世界中の法輪功の修煉者たちは華やかなパレードを開催します。巨大な法輪の模型が回転し、迫力満点の天国楽団、祝祭感あふれる腰鼓隊や舞龍隊、そして笑顔で横断幕を持って歩く法輪功の修煉者たち……そんな明るい光景は、通行人の目を引き、写真撮影の対象となっています。多くの人々が手を振り、歓声を上げて、パレードに敬意を示します。

しかし、メディアが以前に撮影したところによると、中国から出国したばかりの観光客や新しい移民たちは、目の前の光景に信じられないという反応を示しました。彼らは驚きを隠せずに言います:「これが法輪功ですか?中国での宣伝とは全然違いますね。中国ではこんな光景はまったく見られない、非常に衝撃的です」

【字幕版】

20年以上にわたり、中国共産党(中共)は、国家の宣伝機関を駆使して、中国国民に対して偽の「法輪功」のイメージを植え付けてきました。しかし、その真実は何でしょうか?多くの人々がその実態を知らないのが現状です。

今回の番組では、中共が法輪功について流している五つの大きな嘘に焦点を当てていきます。これらは、元中共政治局常務委員で中央紀律検査委員会の書記だった尉健行の元スタッフである王友群博士によって明らかにされたものです。元中央紀律検査委員会の監察官であり、法輪功学習者でもある王博士は、自らの視点から事実を語り、理論を展開し、真実を求める人々にとって有益な情報を提供しています。

「4月25日事件」の虚偽

1999年4月25日、何千もの法輪功の学習者が中国の中枢の地「中南海」へ平和的に陳情する事件が発生しました。

これは中共が政権を握って以来74年間で最も平和的で、最も理性的で、最も穏やかな民意の表明でした。しかし、中共は法輪功の学習者が「中南海を包囲攻撃した」と主張したのです。

王友群博士は、彼が理解している客観的事実について語ります:法輪功の学習者は中南海を「包囲」も「攻撃」もしていませんでした。

その日、陳情者は1万人以上いましたが、現場の警察の指導のもと、法輪功の学習者は中南海の北門と西門の外側の道路沿いにそれぞれ立っており、整然とし、標語もスローガンも演説もチラシもなく、過激な言動もありませんでした。

王博士は、4月25日事件が起こった真の理由は次の通りだと考えています:当時の中共の党政軍の最高指導者であった江沢民は、法輪功の問題をタイムリーに理解し、適切に処理するための十分な機会を持っていました。しかし、4月25日の事件が起こるまで、江沢民自身は法輪功の問題について全面的で、深い、詳細な調査研究を行ったことがなく、また中央書記処、政治局、政治局常務委員会に対しても、法輪功の問題について全面的で、深い、詳細な調査研究を行うよう命じたことがありませんでした。

1996年から1999年の間に、法輪功の修煉者たちは江沢民に何度も手紙を送り、法輪功に対するさまざまな問題を訴えていました。問題の内容には、新聞出版署による法輪功の本の出版禁止、公安やメディア、宗教界、気功界の中での法輪功に対する攻撃や妨害活動、そして遼寧省朝陽市の公安局が法輪功を禁止する文書を発行したことなどが含まれています。

しかし、これらの手紙はすべて無視され、江沢民からは一切の返答がなかったのです。

1999年4月24日には、天津市で法輪功学習者40人以上が警察によって暴行され、不当に逮捕されるという重大な事件が起こりました。

天津市の修煉者たちは市政府に釈放を求めましたが、市政府は公安部が介入しているために自分たちでは決定できないとし、「北京へ行けば問題が解決する」と指示しました。

江沢民への手紙での訴えが無視されたため、天津市で不当に逮捕された修煉者の釈放や法輪功書籍の出版が許可されることや、合法的な修煉環境の確保を目指し、1999年4月25日には修煉者たちはやむを得ず北京市の中南海へ陳情に行きました。

中南海への陳情のもう一つの理由は、陳情受付窓口の国務院信訪局がそこにあったからです。

同日夜9時頃、天津市の修煉者が全員釈放されたとの情報を受け、1万人を超える法輪功修煉者は整然と撤退しました。

4月25日の事件について、中共は全て法輪功の責任であると主張しています。

しかし、王友群博士は、客観的な事実として、江沢民の重大な職務怠慢が4月25日の事件の最も大きな内因であると考えています。また、江沢民は4月25日のこの事件の発生に対して、最も重い、逃れられない指導責任を負っているとされています。

 
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